Live streaming ネット中継 (連載第441回)

インターネットで様々な生中継を見られるようになって久しい。その昔は通信速度が限られていたせいか、コマ送りのようにぎこちなく動く画質の粗い配信映像は、まるで子供の玩具のようだった。今日では映像品質が大きく向上し、私の古いパソコンや安物のタブレットでも十分にダイナミックな映像が楽しめる。

 この種の映像配信はlive streaming(ライブストリーミング)と呼ばれている。元来は配信される動画をパソコンにダウンロードしながら同時再生する技術の名称だったようだが、今ではインターネットによる生中継という意味でも広く使われている。日本語では「ライブ配信」または「生配信」と訳しているが、「ネット[生]中継」のほうが私などには分かりやすい。これをテレビと同様に「生放送」と呼ぶ向きもあるが、この国ではかねてからインターネットを(不特定多数向けの)放送(broadcasting)ではなく通信(communication)の一種に分類してきたので、語弊を避けるために私は使わない。もっとも某有料公共放送はパソコンやケータイの所有者からも受信料を徴収すべく放送番組のネット同時配信を企んでいるそうだから、そうなるとその先、ネットと放送の区別はもっと曖昧になるだろう。

 海外からネット中継される映像(そのほとんどは無料)は実に多彩だ。ハワイからは地元のテレビ局が毎年4月にフラダンスの競技会(hula competition)をネットで同時中継してくれる。10月にはノーベル賞受賞者発表の瞬間をリアルタイムで見られる。今や一個人でさえ、各種のライブ動画配信サービスを使って自室や現場から映像を生中継できる時代だ。

 ネット中継の最大の利点は、未編集の映像をありのままに見られることだ。たとえば香港市民の抗議デモの映像は、テレビのニュースでは暴力的なシーンが使われがちで、デモ隊が悉く暴徒であるかのような悪印象を与えかねない。だが現地からの中継をパソコン画面の片隅に表示して眺めていると、デモ参加者の圧倒的多数は平和裡に行進し集会で歌うなど非暴力に徹していることが分かる。

 ネットを通して配信される映像の中にはショッキングなもの(graphic video)もあるので未成年者への配慮は必要だが、一般にはそういった映像も含めて、報道機関による編集や国家の検閲を経ていない生の配信映像を見られることにこそ重要な意義があると私は思う。

(『財界』2019年11月19日号掲載)


※掲載日:2019年11月19日
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