風聞によると、近頃の若い世代には電話に出たがらない人が増えているという。自分にも相手にも時間の浪費でしかない、というのがその主な理由らしい。電子メールやLINEのような通信アプリがごく一般的な通信手段となった今日、それももっともなことだ。そう若くない私自身も、突然かかってきた電話で延々とよもやま話をされたり、保留にされて待たされたりした日には確かにそう思う。その昔、ソニー創業者の井深大氏(当時名誉会長、故人)の英文秘書の仕事をしていた私の所には、会社の代表番号にMay I speak to Ibuka-san?(井深さんとお話したいのですが)と英語でかかってきた電話が悉く回ってきた。だが数分かけて話を聞いたところ、井深氏とは一面識も無い人からの個人的な頼みごとだと分かって閉口したことがあった。電子メールなら一瞥して拒否、または回答不要と判断できるところだ。
近頃自宅にかかってくる電話の大半は迷惑なセールス電話(cold call)か間違い電話だ。すっかりうんざりした私は、留守番電話に「この電話は使っていないので電子メールで、または携帯電話にご連絡ください」と答えさせて金輪際、出ないことにした。
もちろん、今でも電話は状況によっては効果的な通信手段となる。簡単な用向きで相手の即答が期待できる場合はそうだ。回答に時間を要する難しい用件なら、予め文書化して電子メールで送っておき、それについて後ほど電話で相談したい(discuss it over the phone later)とでも書き添えておけばお互いに時間の節約になる。
会社など組織のトップや社会の重鎮なら電話の効用は絶大だ。私のようなかつての平社員は、雲の上の人から電話がかかってきただけで、受話器を手に平身低頭してしまう。井深氏とともにソニーを創業期から育てた盛田昭夫氏(故人)はその当時、連続通話時間が短かった携帯電話を何台も並べて充電しておいて、飛行機に乗っている間を除いて電話をかけまくる一種の電話魔だった。もちろん、超多忙なカリスマ経営者から直接電話をもらった社員は―私自身はその栄に浴したことは無いが―恐縮しながらも意気揚々となり、その指示やアドバイスを直ちに実行に移したことだろう。
通信手段に限ったことではないが、要は目的や相手に応じて使い分けられるかどうかだ。
(『財界』2019年3月26日号掲載)