Life prolonging 延命 (連載第421回)

 近頃はこの国でも延命治療(life prolonging treatment)の是非を論じることがタブーではなくなってきた。

 自分の経験から言わせてもらうと、延命治療の希望の有無を医師から尋ねられるのは、患者の家族にはかなり大きなストレスになる。そもそも、どういった状態の患者にどのような治療を施すことが「無意味な延命治療」なのかという判断が難しい。回復の見込みが無い患者への人工呼吸器の装着や胃ろうの造成には消極的な医師も多い。

 愛する家族には一日でも長く生きていてもらいたい。だからといって、意識が戻らないままチューブでつながれて病院のベッドで生き続けることに生きる意味があるのか。その辺をどう考えるかは患者やその家族の宗教観や死生観によっても違ってくる。

 一方、医療保険制度上の制約により、病院の多くは入院して3カ月後までによそに転院するか自宅に帰るように求めてくる。少しでも回復の見込みのある他の患者のためにベッドを空けることはいわば社会的な要請なのかもしれないが、次から次へと転院先を探す患者の家族にとっては精神的、経済的な負担が大きい。

 延命に関わる医療技術が私のような一般人に分かりにくいのにも閉口する。例えば病院でIVH(intravenous hyperalimentation)とかCV(central vein)カテーテルと呼んでいる中心静脈栄養法。高カロリー輸液(IVH)を中心静脈(CV)に点滴して命をつなぐ方法だ。調べてみたら最近はTPN(total parenteral nutrition=完全非経口栄養法)と呼ぶ傾向もあるらしい。医療関係者が使う呼称はどうあれ、患者やその家族には、普通の(抹消静脈への)点滴とどう違うのか、その得失が分かるように伝えてほしい。

 近頃では延命治療はいっさい行わず、草木が枯れていくように自宅や介護施設で死を迎えるのが本人にも家族にも最善の選択だという考え方が広まっている。欧米では寝たきり(bedridden)の高齢者が少ないといわれるが、それはおそらく延命治療を行わないからだろう。海外の一部の国や州では安楽死(euthanasia/連載第323回「安楽死」参照)が合法化されていて、オランダでは毎年数千人もがこれによって永眠の途に就くという。動物は食べられなくなったらそこで終わりと思う私などは、あえてそれに疑義を挟むつもりはない。

(『財界』2019年1月29日号掲載)


※掲載日:2019年1月30日
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