Milestone 節目 (連載第419回)

 何かにつけて「平成最後の〜」と言われた今年は明治維新から150周年に当たり、私のような隠遁者の知らないところで祝賀行事なども行われていたようだ。それがめでたいことかどうかはさておき、この国の中央集権化(centralization)と近代化(modernization)の開始から1世紀半(one century and a half)を経たこの時点で歴史を反省するのは悪いことではない。

 今年はわが故郷、北海道の命名から150周年にも当たるとかで、地元では様々なイベントもあったようだ。今は道民でない私にはこれも無縁な話だが、この記念すべき年にひとつ気にかかる記事を読んだ。北海道百年記念事業で野幌に建設された記念塔(tower monument)の老朽化が著しく、半世紀を経た今、解体する(dismantle)ことも検討されているという。小学校低学年まで道央で暮らしていた私はその存在こそ知っているが、実はそこを訪れた記憶も無ければ集客施設(attraction)としての印象も無い。聞くところによると、そのエレベーターは長年運行しておらず、落下物の危険があって数年前からは一般客の立ち入りも認められていないそうで、これでは廃墟(ruins)同然だ。

 半世紀も経たないうちにダメになるような記念塔を建てたとは何とも情けない話だが、これを教訓に歴史の節目(milestone)の事業と称して実用性に乏しい記念塔やら巨像やらの巨大建造物をやたらと造りたがる前々世紀的な発想はいいかげんに捨てるべきだと思う。

 これも風聞だが、明治時代に有志が資金を出して各地に建立した戦没者の慰霊碑などの建造物の地震による倒壊が懸念されている。危険なので対策を求めようにも所有者が分からないことが多く、放置されている。建造当時は社会的な意義もあっただろうが、1世紀以上を経て所有者も管理者もすでに存在しない以上、国や地方自治体の首長が判断して撤去するのが良策だ。根拠となる法令が無いというなら法律でも条例でも作ればいい。

 遺構(remains)を一種の文化遺産(cultural heritage)として残す意義を一概には否定できないが、多額の改修費用や観光施設としての採算性を考えると、その多くは維持するだけでも困難だ。建築物としての文化的な価値があるなら写真や映像で残せばいい。今ならVR(仮想現実)技術を使った立体映像を見せることも可能だ。朽ち果てた柱や壁を捨て置いて景観を損ない事故を招くよりはずっとましだ。

(『財界』2019年1月1日号掲載)


※掲載日:2018年11月21日
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