At your own risk 自己責任で (連載第418回)

 内戦が続くシリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの某氏が3年4ヵ月ぶりに解放された。無事帰国されたことは喜ばしいのに、ネット界隈ではいわゆる自己責任論が再燃して、彼の行動が改めて非難されていると聞く。同氏は以前もイラクで拘束された過去があるためか、世間の風当たりはいささか厳しいようだ。

 その手の自己責任論に対して同業のジャーナリストなどからは反論が相次ぎ、それがまた火に油を注いでいるようだ。ジャーナリストでもない臆病な私は、下手に口を挟んで極端な思想の持ち主に絡まれても嫌なので、この点に関してはツイッターでは何も言わないことにしている。

 ネットを通して現地の住民に取材できる今日、ジャーナリストが身の危険を冒して現地入りする必要があるのかどうか、門外漢の私には何とも言えない。ただ、フリーランスに金を払って危険な地域で取材をさせながら、その犠牲的精神を礼賛する一部報道機関の姿勢には、正直なところ疑問を感じないこともない。

 一方、この問題を論じるのに自己責任という論点を前面に押し出す向きにも違和感を覚える。某氏の今回の解放は日本政府にとってはいわば寝耳に水だったらしく、身代金(ransom)の支払いも一切無かったとしている(中東の某国が払ったとの報道もある)。インタビューを受けたご家族も「ご迷惑をおかけした」と低姿勢に終始しているのだから、ここはバッシングに加担することなく、そっとしておいてあげるのが大人の態度ではないかと思う。

 もちろん、危険な場所に立ち入る人の自己責任を問う声にも一理ある。米国の海岸などではよく Swim at your own risk(泳ぐなら自己責任で)といった表記の看板を見かける。日本語なら普通「泳ぐなキケン」などと書いてあるところだが、この辺は言語による発想の違いだろう。それにしても、昔とは違ってこの国でも、個人が自ら招いた危険にまで政府が悉く責任を取る必要は無い、という考え方がやはり広がりつつあるのか。何か事あるごとに自己責任の自覚を求める声もそこから出てくるのかもしれない。

 思うに、この件で問われている自己責任論の多くは結局、昔からある分かりやすい言葉で言えば自業自得だ(だから国が助ける必要は無い)という主張に過ぎない。自己責任という言葉を使うなら、それは個人の無謀な行動に対する論難においてではなく、安全対策を前向きに論じる善意の意見であってほしい。

(『財界』2018年12月4日号掲載)


※掲載日:2018年12月21日
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