Like いいね (連載第398回)

 インターネット社会独特のコミュニケーション用語についてはここでも何度も書いたが、広く使われているのに私にはどうも使いにくかった言葉のひとつに「いいね」(Like)がある。私が使っているツイッターにも「いいね」ボタンがあって、人のツイート(投稿)の下にあるそれを押すと、そこに表示された数字がひとつ増える。しかしそれを押した読み手が何をどう「いいね」と思ったかはそれだけでは分からない。

 私は長い間この「いいね」ボタンを押すことはほとんど無かったが、最近は人のツイートの内容について「お考えに賛同します」のほかに「良い話に感心しました」「良い情報をありがとう」程度の軽い気持ちでも「いいね」を押せるようになった。

 具体的に何がどう「いいね」と思ったかを投稿者に伝えたければリプライ(reply=返答)、自分のフォロワーなど第三者にも広く伝えたければコメントをつけてリツイート(retweet=転載)すればいい。ただしコメントを書く際には誤解を生じないように十分気を付ける必要がある。軽い気持ちで書いた批評でも、下手をすると投稿者を傷つけかねない。褒めたら褒めたで、それに対して謝意のコメントを返さなければと投稿者が負担に感じるおそれもある。その点、「いいね」ボタンを押すだけなら、そういった気兼ねは無用だ。

 逆に相手のコメントが良くないと思ったとき、あるいは災難や不幸を嘆いたツイートについては「いいね」は押しにくい。以前別のSNSで「よくないね」とかいうボタンをつけるように検討されたことがあったそうだが、そんなものはやはり無いほうがいいと私は思う。

 匿名のネット社会の傾向として、人に対する誹謗中傷とまではいかなくとも非難や嫌味を書く輩は絶えない。それをあの社会の俗語で「ディスる」と言うらしい(なんでもヒップホップの世界で人の作品をくさすのに使うdisrespectに由来するものだとか)。だが私に言わせると、公人でもなければ自分の利害にも関係しない他人の書いたものにいちいちケチをつけたがる心根はいかがなものかと思う。中には全く根拠の無い批判や読み手の勝手な思い違いも少なくない。

 和を重んじるといわれてきたこの国の美風に従って、インターネット空間でも人をむやみやたらとけなすのではなく「いいね」と称え合える社会でありたい。

(『財界』2018年2月13日号掲載)


※掲載日:2018年2月27日
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