Is this..? これは〜ですか (連載第386回)

 かつて日本人が中学校の教科書で初めて習う英文にThis is a pen.(これはペンです)というのがあった。その後にIs this a pen? (これはペンですか)- Yes, it is.(はい、そうです)と続く。1970年代前半に中学生時代を過ごした私は実際、これらの文を教科書で学んだ記憶がある。

 私と同世代かそれ以上の日本人ならほぼ誰でも知っているThis is a pen.は、役に立たない教科書英語の悪しき典型と目され長らく不評だった。ペンなんか見ればそれと分かるのだから不自然だとか、かくも浮世離れした表現から教えるから英語が嫌いになると苦言を呈する向きもあった。この文は英語が苦手な同胞に対する自嘲的なギャグに使われた挙句、いつしか教科書から姿を消した。This is〜構文はその後に人名を続けて「こちらは誰それです」と人を紹介する現実的な状況設定に置き換えられた。

 初めて学ぶ英文にThis is a pen.が選ばれた経緯は知らない。原著者の意図を察するに、指示代名詞のthisと三人称単数形のbe動詞isと不定冠詞のaが含まれるこの構文なら、日本語とは異なる英語の特徴を理解しやすいと考えたのかもしれない。言わずもがなで分かるとされるペンも、昔の子供の目には西洋の新奇な文具として新鮮に映っただろう。長い歳月を経てこの例文が陳腐化したのは致し方が無い。

 ところが先日、私は現実の世界で久しぶりにこの構文を耳にした。近所のスーパーで見知らぬ外国人からIs this normal milk?と尋ねられたのだ。何かと思って振り返ると、彼が指差していたのは低脂肪乳(low-fat milk)だった。彼が探していた普通の牛乳、つまり全乳(whole milk)がどれか教えようとした私はちょっと戸惑った。どれも似たようなパッケージデザインの全乳、低脂肪乳、牛乳もどきの乳飲料、はては豆乳までもが同じ商品棚に混在している。あとで品名(description)を見たら、どれも漢字でしか書いていない。住民の多国籍化が進むこのご時世、せめて必需食料品(staples)くらいは英語、または分かりやすく標準化されたアイコンで表示して外国人でも識別できるようにしたらいいのにと思う。

 商品の種類が少なかったその昔、近所の店には普通の牛乳やペンしか無かった。しかし商品の多様化が進んだ今日、一見ペンのように見える製品が実はマーカーだったり消しゴムだったりもする。Is this..?と聞かれる機会は案外多いのかもしれない。

(『財界』2017年8月1日号掲載)


※掲載日:2017年8月29日
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