Constituency 選挙区(民) (連載第363回)

 どちらかと言えば無党派層(independent voters)に属する私は、選挙が終わるたびに無力感に襲われる。曲がりなりにも民主主義に則った政治体制を機能させるために投票には行くし(go voting)、ブログやツイッターで投票を呼び掛けたりもするのだが、終わってみれば、自分が投票した候補者の当落に一喜一憂することもなければ、自分の一票だけで結果が動いたわけでもないからだ。

 今回〔2016年〕の参議院議員通常選挙の投票率(voting rate)は55%弱に止まったが、各政党から提示された選択肢を見るとこれも無理はない。選挙公報に並んだ顔ぶれを見ると大半は知らない候補者(candidate)ばかりだし、掲げられた政策(policy)には具体性も目新しさもない。仮にあったとしても実行される保証がない。数年前の選挙では公約(commitment)を記載したマニフェスト(manifesto)なるチラシが導入されて一時流行ったが、結局は口先だけの公約と同様に守れないものは守れないことが分かると、私を含む多くの有権者も報道機関も今や見向きもしない。

 私の住む東京のような都市部の選挙区では、地元の名士を誇りある代表として担いで選挙戦を戦い、皆で勝利を喜び合えるような政治文化がない。誰が勝っても達成感がない。だからますます選挙への関心が失せる。地方でも都市化が進むこの国で投票率が低迷しているのも当然だ。

 それでも今回から6議席を割り当てられた東京都は、候補者が多彩になって選択肢があるだけまだましだ。人口が減っている地方は1人区が多く、弱い立場の野党は必然的に合従連衡して候補者をひとりに絞るから、そうでなくても少ない選択肢がさらに減る2県をひとつの選挙区に統合した選挙区(合区)はもっと悲惨だ。隣接している以外には何の意味もなく「合区」された県の一方は、地元出身の国会議員を出せない。国政選挙だから各県代表でなくてもいいという理屈なら、他の都道府県との平等を期すために全部を大ブロックの複数区にすればいい。

 現行の選挙制度をそのまま放置していたら、せっかく選挙権を得た18歳以上の若者も、多くの大人たちと同様にそのうち政治への関心を失いかねない。だが歴史も示しているように、民主主義への関心の低下は極めて危険だ。時代遅れの選挙制度をそのままにして上っ面だけ塗り替えるのではなく、新しい発想に基づいた抜本的なリフォームが必要だと私は考える。

(『財界』2016年8月23日号掲載)


※掲載日:2016年8月24日
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