Credibility building 信頼醸成 (連載第356回)

 昨年〔2015年〕録画したテレビの歴史ドキュメンタリー番組(注)を見ていたら、かつて冷戦時代にソ連のフルシチョフ首相がアイゼンハワー米政権に招かれて米国各地を親善訪問した映像があった。その後、ケネディ大統領との会談で彼が「私にも(生きていたら)あなたくらいの年齢の息子がいた」と述懐したという逸話(anecdote)も聞いた。1962年のキューバ危機でケネディ政権と対峙したフルシチョフが核戦争の瀬戸際で譲歩して危機を回避したのも、仮想敵であった米国の指導者や市民との人間同士の触れ合いがあるいは功を奏したのかもしれない。当時の指導者の人柄や器量を想像して少し感じ入るところがあった。

 ロシアのクリミア併合や北朝鮮の核実験などで世界に緊張が走るたびに、威嚇(threat)とか制裁(sanction)といった物騒な言葉ばかり耳にする。だが外交交渉とは本来、和戦両様の構えを取るもので、そろそろ緊張緩和(d?tente)に向けた手が打てないものかと思う。

 私の世代がかつて歴史の授業で習った言葉に軍縮(arms reduction)があったが、冷戦以降はこれに軍備管理(arms control)という言葉が加わった。第一次世界大戦後に欧米列強や日本が軍縮会議を重ねながら結局は世界大戦の再発を防げなかった反省もあって、実効性が伴わない軍備縮小を唱えるよりも、現実的な政策として互いに目に見える形で軍備を管理して戦力バランスを保つことによって平和を守ろうとしたのだろう。

 信頼醸成措置(credibility building measures, CBM)も確かその頃から使われ始めた国際政治用語だと思う。キューバ危機を教訓に、米ソ両国はその後ホットライン、つまり首脳間の直通電話回線を設置した。このように、相手国とのコミュニケーションをつねに維持し、軍事演習にオブザーバーを招待するなどして相互の誤解や不信を取り除く措置をいう。戦後の世界が局地戦争を繰り返しながらも全面核戦争を防いできた背景には、こういった数々の工夫があった。

 どうせまたブラフ(bluff, 恫喝)だとタカをくくっているうちに、従来の世界秩序の枠組みに入らない国々や武装勢力から核兵器や化学兵器が拡散して全人類に深刻な脅威をもたらすおそれがある。

 為政者たるもの、経済援助を手土産にした諸国歴訪や物見遊山まがいの海外視察に終始するのではなく、人類共通の問題に立ち向かうための画期的な外交構想を積極的に提案し実行してほしい。

(注)NHK『映像の世紀』第8集ほか

(『財界』2016年5月10日号掲載)


※掲載日:2016年5月24日
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