Apology 謝罪 (連載第352回)

 多数の死傷者を出した痛ましいバス事故から芸能人の醜聞まで、今年〔2016年〕も早々から関係者がテレビで謝罪する場面をよく見かける。そう言えば私のところにも、ある会社から詫び状を英訳してほしいという依頼があった。

 依頼元の社名や手紙の具体的な内容はもちろん明かせないが、A4判で2ページにわたるその原稿は、とてもよく書けていた。つまり(1) 発生した事故の概要、(2) 事故の経緯とすでに取った(または今後取る予定の)対応を報告した上で、(3) 注意が足りなかったことを詫びながら再発防止を誓う。実務的な詫び状としてはほぼ完璧だ。

 その原稿を一読した私は、(2)の時系列的に書かれた経緯と対応の詳細な報告を添付資料(attachment)として後ろに回すことにした。多忙な相手に読んでもらう実務的な手紙は、英語だろうと日本語だろうと、結論を先に述べる(put the conclusion first)のが要諦だ。

 詫び状に限らず英文手紙を作成する際に言えることだが、例えば「ご迷惑ご不便をおかけしたとすれば心からお詫びする」(sincerely apologize for any trouble and inconvenience)とか「ご容赦いただければ幸い」(Your indulgence will be appreciated)などといった決まり文句はどこかで調べればすぐにわかることだ。大切なのは形式的な謝罪の言葉よりも、実のある内容や効果的な構成だ。

 一方、昨今世間を賑わしている芸能人のトラブルや醜聞に関して本人が行った謝罪会見をテレビで見た私は、かなり違和感を覚えた。タレント本人が一方的に思いを述べるだけで、事実関係も、誰に対して何を謝っているのかも判然としない。察するに、芸能事務所の内紛劇や個人的な不祥事が露見して世間を騒がせたこと、あるいはスポンサーの期待を裏切ったことについての謝罪の表明なのだろう。しかし、そもそも事務所内部や個人間のトラブルなら、常識的には当事者同士で内々に話し合って解決するなり謝罪するなりするのが筋だろうし、その事実が週刊誌等にリークされたこと自体は本人の落ち度ではあるまい。公共の電波を使って、いわば大切な商品であるタレントを晒し者にして幕引きを図ろうとするあのやり方はいかがなものかと思う。

 もっともああいう形は、テレビ業界や芸能界に疎い私などには窺い知れない手打ちの儀式なのかもしれない。そうだとしたら、それは我々一般人や普通の企業にとっては決して良い手本ではない。

(『財界』2016年3月8日号掲載)


※掲載日:2016年4月2日
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