Easy justification 安易な正当化 (連載第341回)

 今年の夏は戦後70周年ということもあって、先の大戦を振り返るテレビ番組を見る機会が多かった。

 中でも興味深かったのは、番組名は失念したが、広島と長崎への原爆投下(atomic bombings)について米国が「原爆投下によって戦争を早く終わらせることで100万人の米軍兵士の生命が救われた」と正当化(justification)した通説の背景だ。これは当時のスティムソン米陸軍長官が戦後発表した論文で主張したのが始まりで、だから原爆投下は正しかったという方向に米国の世論が形成されていったという。

 1945年の夏にはすでに、日本が降伏するのはいわば時間の問題だった。当時のトルーマン大統領が実戦で原爆を使用したのは、ソ連に対する立場の強化が狙いだったと見る向きもある。日本政府に圧力をかけるのだけが目的なら、原爆を人口密集地に落とす必要はなかったと考えると、同大統領の決断の背景には人命軽視があったと言わざるを得ない。

 しかしながら、原爆投下が正しかったかどうかを改めて米国民に問うのは酷ではないだろうか。一般論で言えば核兵器の使用は絶対悪であっても、戦争を少しでも早く終結させることによって愛する家族が犠牲になるのを止めたいという当時の米国民の心境もわかる。それを二者択一の議論にすり替えるからおかしくなる。

 この国が過去の戦争や侵略について謝罪するかしないかという問題もまた然りだ。近隣諸国にせよこの国にせよ、政治家の偏った歴史観に基づいて、戦後に生きる私たちが謝罪すべきだとかしなくてもいいと断ずるのは短慮に過ぎる。謝罪の有無は権力者の手に委ねられるものではなく、各々が良心に従って決めることだ。

 トルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエル氏が広島を訪れたときのこと。祖父の決定について謝罪する気持ちがあるかどうかを日本のマスコミから尋ねられた彼は、謝罪はしないが、広島や長崎で起こったことを伝えるのが自分の使命だと答えたという。その話を聞いた私は、彼こそ義の人だと感じ入った。大統領の孫とはいえ一市民に過ぎない彼は当然、米国を代表して日本国民に謝罪する立場にはない。

 歴史の評価は国や人によってまちまちだし、それはそれでいい。大切なのは、各国、個々人が戦争の過ちを謙虚に反省し、その愚を二度と繰り返さないという不退転の決意を持つことではないかと思う。

(『財界』2015年9月22日号掲載)


※掲載日:2015年9月23日
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