Elderly care 高齢者介護 (連載第340回)

 札幌の郊外にある実家に帰るたびに、とぼとぼと歩くお年寄りが増えている気がする。スーパーの特売日にもなると、路線バスは買い物に出かけるお年寄りで溢れ返る。介護施設のワゴン車が毎朝何台もマンションの前に迎えに来ている。地方で高齢化が急速に進んでいる現状を肌で感じる。

 この数年、私の身内や知人にも介護施設や病院のお世話になる者が増えた。最近、東京の病院が経営する施設で虐待(abuse)事件があったと報じられたが、その種の問題はどちらかと言えば例外的だろう。私が見聞きする限り、介護職員は献身的に被介護者の世話にあたってくれるし、家族にも親切だ。職員数が限られ報酬も安いと報道で聞くにつけて、頭が下がる思いだ。

 札幌滞在中に聞いたニュースによると、2013年に北海道内で報告された高齢者虐待事件のうち、介護施設の職員によるものは10件だったのに対し、家族や親族によるそれは475件もあったという。

 介護職員や看護師なら、被介護者の扱いに慣れている上に、他人だからこそ感情の入る余地があまりない。ところが、家族が自宅で介護する場合は、そう簡単にはいかない。家族だからこそ互いへの愛情だけでなく怒りや憎しみも生じうる。

 物理的な制約もある。介護保険を適用して屋内に手すりなどをつけても、マンションの狭いトイレや風呂では介助もままならないし、狭い廊下はかえって車椅子が通りにくい。要介護者が転倒したら、身体壮健な若者でも簡単には抱き起こせない。介護に当たる家族がひとりでその苦労を背負い続けると、やがて限界が来る。無理をしないで専門家の助言や公的支援を求めることだ。介護には経済的な問題も伴うが、それよりもむしろ精神の健康が案じられる。

 健康な家族はもちろん、家人に要介護者や不治の病人が出ることを過度に心配しても始まらない。この先、有効な治療法や介護者の負担を軽減する器具が開発される可能性もあるから、そう遠い先のことを案ずることはないかもしれない。

 ただ、家族の誰かがそういう状態に陥ったときの心構えを持っておくに越したことはない。いざそのときになって右往左往しているうちに、家族間に誤解が生じ、不平不満をぶつけ合うようなことがあっては、それまでせっかく豊かで幸せな人生を送ってきた家族もそこで不幸な結末を迎えてしまうからだ。

(『財界』2015年9月8日号掲載)


※掲載日:2015年9月23日
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