Storyteller 語り部 (連載第337回)

 出無精で口下手なこの私に数年に一度、講演の依頼が来る。いずれも、拙著『英語屋さん−ソニー創業者・井深大に仕えた四年半』(集英社新書)を読んだ方から、当時の体験を元に話してほしいというものだ。僅かな日銭と貯えで糊口をしのぐ私はたいへん有り難く承るが、「もうずいぶん昔の話になりますが、かまいませんか」とつい念を押してしまう。

 なにしろ私が故・井深名誉会長(当時)の下で働いていたのは1980年代後半だから、かれこれ30年近く前のことだ。それでもあの頃の話を聞きたいと奇特な読者に言わしめるのは、もちろん私の稚拙な筆致などではなく、井深氏のご遺徳にほかならない。昔のことを思い出したついでに、ここで一部にあった誤解を正しておく(set the record straight)ことにする。

 井深氏が戦後間もない東京で興した東京通信工業株式会社の設立趣意書(prospectus)に書いた「自由闊達(freewheeling)にして愉快なる理想工場の建設」という社是は有名だ。私が入社した当時の学生向けの会社案内には、生意気な人を求むとあった。故・盛田昭夫会長(当時)は知る人ぞ知る人材マニアで、異業種からスカウトした社員を随所に配置していた。

 一方、ソニーが国際的に知られた大企業でありながら同族経営色が強いとか、技術の井深、経営の盛田両氏の不仲といった風聞が週刊誌に書かれたことがあった。確かに盛田氏の実弟らは社内の要職にあったが、急成長の最中にあったソニーはもともと、中途入社の幹部、高卒の管理職、外国人社員など様々な背景を持つ人材の寄せ集めだった。地方で造り酒屋を経営していた盛田家の人々がその中にいても不思議ではない。井深・盛田両氏の不仲説に至っては噴飯物だ。私が秘書室に詰めていた当時、多忙だった両氏が、互いに向かい合っていた名誉会長室と会長室の間を楽しそうに行き来する姿をよく見かけたものだ。ソニーは何かと世間の耳目を集めた会社だったから、あることないこと言われたのだろうが、よその内情をろくに知らずに悪くあげつらうのはいかがなものかと今でも思う。

 創業者世代の近くで働いていた仲間内では、「井深さん、盛田さんがお元気だった頃は楽しかったね」という声をこれまで何度となく耳にしている。私ごとき小人にはあの両雄の人徳や才覚は微塵もないが、偉大な人物像の一端を伝える語り部としての役割を今後も折に触れて果たしたい。

(『財界』2015年7月21日号掲載)

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※掲載日:2015年7月21日
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