Everyday people 市井の人々 (連載第334回)

 米国民主党のヒラリー・クリントン女史が大統領選挙への出馬を表明した映像で、everyday Americans という言葉を使っていた("Getting Started," www.hillaryclinton.com)。某公共放送のニュース番組がこれに「平凡なアメリカ人」という日本語の字幕をつけていたのを見た私は、多少違和感を覚えた。

 「平凡な」という言葉は、必ずしも良い意味(good connotation)で使われるものではない。余人はいざ知らず、私なら、政治家から「平凡な日本人」呼ばわりされた日には(本当に凡人ではあっても)いささか不愉快だ。米国のファーストレディや国務長官まで務めたクリントン女史のような非凡な人が、自分のことを謙遜して言うならともかく、他人を指して「平凡な」と言うと、どうかすると人を見下しているような印象を与えかねない。このような文脈では、「この国(米国)の市井の人々」または「この国の庶民」と訳すのが妥当な線だ。放送局のやんごとなき方々は意に介さない些事かもしれないが、私のように言葉に敏感で僻みっぽい視聴者もいることを忘れないでほしい。

 さてそのクリントン女史の映像では、有色人種や同性愛者のような少数派(minorities)も含めて、様々な人々を次々と登場させていた。その中にはペットをかわいがる家族の姿もあった。庶民派を演じる候補者の作為的な演出が鼻につかないでもないが、夫君の大統領在職中はホワイトハウスで犬猫を飼っていたのだから、少なくとも犬猫嫌いではないのだろう。

 そういえば、この国の某民放番組では、スタジオ内をうろついている猫が映る。先日たまたま見たら、ゲストとして招かれた某政党の党首のひざにその猫が乗って、なかなか降りようとしない。世間では堅物と見られている彼が猫を抱きながら話している姿はちょっとユーモラスでもあり、その意外な一面は人々に好感をもって受け止められたようだ。うちにも猫がいるが、犬と違って猫は人の指図にほとんど従わないから、あの姿は演出ではあるまい。もちろん、猫好きかどうかは政治家としての資質に直接関係ないが、猫に警戒心を抱かせない人柄は見て取れる。自分は庶民派だとか犬猫好きだと本人の口から言われるとわざとらしくても、映像で見せられるとさほど不自然ではない。

 下手の長談義よりも簡潔な映像が物を言う時代になったのかもしれない。

(『財界』2015年6月9日号掲載)


※掲載日:2015年6月23日
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