Long silence 無沙汰 (連載第325回)

 年賀状やクリスマスカードのような年末年始の挨拶(season's greetings)について自分の思うところをここにも何度か書いてきたが、2015年以降、親戚など一部を除いて年賀状を出すのを止める決心をした。もとよりこの種の慣習を否定するつもりはなく、いささか後ろめたい気持ちもあるので、この場を借りてちょっと釈明させていただくことにする。

 例によってインターネットで世間の動向を調べたところ、「年賀状を出すのを止めたいが、どうすればよいか」といった質疑応答がいくつか見つかった。何の疑問も抱かずに長年続けてきた慣わしを止めるのは、誰しも心苦しいのだろう。「止めるとわざわざ言うのは失礼だ。黙って出さないほうがいい」という意見もあって、確かにそれも一理ある。だが私はあえて、14年の暮に出した喪中欠礼のハガキに「事情により来年以降も年賀状は出さないことにした」と宣言した。先方から年賀状が来ているのにこちらから出すのを黙って止めたら、一方的に付き合いを断たれたのかと余計な誤解を招くおそれがあるからだ。

 年賀状は続けるに値する慣行だとは思う。もらえばもらったでうれしい人もいるだろうし、無沙汰(long silence)を詫びつつ新年を寿いで互いの多幸(best wishes)を祈るのは、一種の美風だ。しかし、私自身に関する限り、親族の中には自身の病気や家族の介護を理由に年賀状を止める者が増えたことから、もしかしたらよその家も似たような状況ではないかと心配になった。

 私の場合はさらに、自分が年賀状を出していないのにいただくと恐縮して、すぐに年賀状を返したほうがいいか、それとも少し日を置いて「寒中見舞い」という形で無沙汰を詫びたほうがいいかと、あれこれ考えてしまう。自分のことならまだしも、相手にもそのような気遣いをさせているのではないかと、これも気がかりだ。そういったことも勘案して考えた上での決心だ。一方、今後も年賀状を出したいという家内の意向は尊重して、引き続き作成と印刷を手伝うつもりだ。

 クリスマスカードや年賀状をインターネットで送る人もいる。パソコンの画面上で絵が動くものもあって楽しい。だが私のように、正月三が日くらいはパソコンも携帯電話も触りたくない人もいると思うと、この種の年賀状を出すのを躊躇してしまう。年賀状なら、昔ながらの紙のハガキのほうが無難といえば無難かもしれない。

 もっと筆まめな人なら、文面や絵柄も通信手段も相手に合わせて変えるのだろう。たとえば、ハガキにはハガキで、SNSにはSNSで応える。それにしても、利便性や多様性が進む反面、面倒な世の中になったものだ。

(『財界』2015年1月27日号掲載)


※掲載日:2015年1月27日
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