Euthanasia 安楽死 (連載第323回)

 脳腫瘍を患って医師から余命宣告を受けていた29歳の米国人女性が、医師に処方された薬で安楽死を遂げた。彼女がネットに投稿した動画でそれを宣言していたことから、この問題は世界中で議論を呼んだ。

 安楽死は、英語ではeuthanasia(「ユーサネイジャ」のように発音する)または mercy killing(慈悲殺)という。一般に、薬物を使うなどして死期を早めることは積極的安楽死、治療を開始しない、または中止することは消極的安楽死と大別されており、今回のケースは前者に該当する。

 安楽死の是非は昔から議論の的となるところで、私が英語サークルに所属していた学生時代もよくディスカッション(discussion)の議題(agenda)の候補に挙がっていた。学生にはあまりにも重すぎる問題だったからか、結局、私自身はこの問題を人と議論する機会はなかった。まだ若かった当時の私なら、「人間は生命ある限り何が何でも生き抜くべきだ」などと主張していたかもしれない。

 件の女性は自らの意志で合法的に安楽死を遂げるために、家族とともにオレゴン州に移住していたという。合法化されている国はまだ少なく、米国でもそれを尊厳死(death with dignity)として法律で認めている州とそうでない州があるそうだ。

 積極的安楽死が合法化されていない国では、医師であれ、それを手助けすれば罪に問われる。

 宗教の中には安楽死を自殺(suicide)と同一視してそれを禁じているものがある。ある宗教の総本山は、安楽死を遂げた彼の米国人女性を非難する声明を発表した。だが私に言わせれば、余命幾許もない人の生死の選択は、ひとえに本人とその家族の個人的な問題であって、安楽死が合法的に行われた以上、他人がとやかく言うことではあるまい。こういったケースを美談に仕立てることはもちろん戒めるべきだが、宗教家であれ誰であれ、第三者が故人を非難するのは不遜極まりないことで、それこそ命に対する侮辱だと思う。少なくとも、私の倫理観にはそぐわない。

 積極的安楽死を合法化すべきかどうかは意見の分かれるところだろう。人の生死の問題だけに、国会議員などに任せっぱなしで立法府で法案を討議する前に、私たち国民ひとりひとりがよく考え、広く議論を喚起すべきではないかと考える。

 人それぞれの人生観や宗教観にもよるだろうが、人生の後半に差し掛かった私は、愛する家族が老いたり亡くなったりするのを見るたびに、安楽死を肯定的に考えるようになった。人命はもちろん貴いものだけれども、むしろそうだからこそ、選択の幅はもっと広くてもいいと思う。

(『財界』2015年1月6日号掲載)


※掲載日:2014年12月26日
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