Well-deserved honor 相応しい栄誉 (連載第321回)

 青色LEDを開発した名城大学の赤崎勇教授、名古屋大学の天野浩教授、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授への2014年のノーベル物理学賞(The Nobel Prize in Physics)の授与が決まった。ノーベル財団のウェブサイトによると、その授賞理由は「明るい省エネ型の白色光源を実現した効率的な青色LEDの発明」("for the invention of efficient blue light-emitting diodes which has enabled bright and energy-saving white light sources")。日本人研究者の人類への貢献が権威ある賞によって認められたことを、心よりお祝い申し上げたい。

 この類の報道でいつも気になるのは、感想を聞かれて「日本/日本人は優秀だ」と言う人が必ずひとりふたりはいることだ。他人の感想にケチをつけるつもりはないが、私はそれにちょっとした違和感を覚える。ひとえに日本人といっても、世間には私のような凡人も多い。だから、同胞がノーベル賞をもらうことが決まったからといって日本人がおしなべて優秀であるかのような言い草は、あまりにも単純すぎる一般化(simplistic generalization)と言わざるを得ない。これがもう少し具体的、限定的な言い方なら― たとえば「日本の物理学/科学技術の水準の高さが認められてうれしい」とか「この国には優秀な人が多いと思う」とでも言えば―コメントに知性が感じられて良いと思うのだが如何に。

 ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)の候補に推されていた「憲法9条を保持する日本国民」は受賞しなかったが、当の国民のひとりとしては、内心ほっとした。世界に目を向ければ、欧州の武装中立国は日本よりはるかに長い不戦の歴史を誇っている。中米には軍隊を持たずに平和を維持している国もある。置かれた立場の違いはあるものの、平和主義で一日の長がある諸国民を差し置いて、憲法9条を掲げているという理由で私たちがノーベル平和賞に自薦するのはおもはゆく、ともすればおこがましい気もする。万一ノーベル平和賞なぞ受賞した日には、日本人は優秀だというのと同種の驕慢を生みそうで怖い。

 それでも、憲法9条を持つ日本国民としてノーベル平和賞を目指すというアイデアそれ自体は、必ずしも悪くはないと思う。この国の平和主義を世界にアピールし続けることで、軍事拡大に対する自制が働くからだ。万年候補の状態が続けば、つねに緊張感があって良いかもしれない。

 何にせよ受賞はひとつの結果であって、本当に大切なのは、そこに至るまでの努力の過程だ。謙虚さに溢れた受賞者のコメントを聞いていた私は、その思いを新たにした。

(『財界』2014年11月18日号掲載)


※掲載日:2014年11月18日
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