Atrocities 残虐行為 (連載第320回)

 イラクとシリアにまたがる広大な地域を席巻している強大な武装集団が人質を処刑した映像を公開するという残虐行為を重ね、欧米諸国をして空爆(airstrike)に踏み切らせた。

 21世紀の今日、beheading(斬首、打ち首)とかcrucifixion(磔、はりつけ)などという言葉を海外発のニュースで読むことになろうとは、少し前までは思ってもみなかった。斬首という形の公開処刑は戦国時代や江戸時代の日本でも行われていたが、もちろんすでに過去の遺物となっている。

 気の弱い私はこの種の映像は見ないようにしているが、絞首刑(death by hanging)などの他の極刑と比べて、斬首がことさらに残酷な処刑だとは思えない。一般市民を巻き込む爆撃にしても、残虐性においては大差あるまい。問題は、無辜の人を捉えて殺害した映像をインターネットで全世界に公開したことにある。こればかりは20世紀以前の世界ではありえなかった。このように残酷な映像を動画投稿サイトでは削除しているようだが、いったん公開された映像や事実は、すぐに世界中に広まってしまう。

 人間同士が血で血を洗う殺し合いは、二度の世界大戦はもちろん、かつて米ソが軍事介入したベトナム、アフガニスタンなどでもあったそうだ。ただ、インターネットがなかった当時、写真や映像の公開は政府などの権力者やマスコミにしかできなかった。戦火に曝されなかった「銃後」の内地では、当局に検閲された記事、写真や映像を通して、自国の軍隊が「国益」や正義のためにのみ戦っていると信じ込まされた。その過去を今日の倫理観に照らして裁くべきだとは私は思わない。もし自分がその時代に生きていたら、残虐行為に加担し、そうでなくても黙認する立場になっていたかもしれないからだ。洋の東西を問わず人類の大半は後ろめたい過去を持っているし、そのDNAには今もなお残忍性が潜んでいるかもしれない。

 しかし、そのような過去を反省して、同じ過ちを繰り返さないための努力だけは忘れてはならない。この国の平和主義国家としての取り組みもそうだ。不戦平和の誓いを国是として掲げ、軍隊とは称さない自衛隊を災害救助や戦後復興の目的に限って派遣する姿勢は堅持したい。たとえ相手が誰であれ、軍が国民や外国人に銃を向けるような愚を繰り返してはならない。

 現に、集団的自衛権の保持を主張しているこの国の現政権も、混迷を深めているイラク・シリア地域に対しては経済的支援しか行わないという。国内では集団的自衛権を唱えながら対外的に軍事的支援はしないというのはいささかご都合主義的に見えなくもないが、たとえ腰抜けと思われようと、不戦こそ最善の策には違いない。

(『財界』2014年11月4日号掲載)


※掲載日:2014年11月18日
※このページの無断複写・転載は固くお断りします。
©Yoshifumi Urade 2014  All rights reserved.