Skepticism 懐疑論 (連載第319回)

 マスコミ各社の世論調査の内閣支持率に10%もの差が現れたことに対する疑念の声をツイッターで読んだ。だが、そもそも世論調査に期待していない私は、その結果を見ても別に不思議とは思わない。

 世論調査の回答者は格好の良い答えを選ぶ傾向があり、設問や選択肢がおかしいという話は、前にもここに書いた(単行本『英語で夢を見る楽しみ』pp. 116〜118参照)。もうひとつ、それとは別の偏向要因がある。

 現在の世論調査方法では、回答者が、突然かかってくる電話に答えた人々に限られ、調査対象として無作為(at random)に選ばれた世帯のせいぜい6割程度に過ぎない。一日中家にいて、電話がかかってきたら出ないわけにいかない自分自身の例を挙げると、初めて世論調査を受けたときは興味もあって回答したが、多数の質問と選択肢を延々と読み上げられたのにうんざりして、それ以後はいっさい断ってきた。家内に聞いてみたら、やはりすぐに電話を切ってしまうという。調査と称してかかってくる電話の中には、物品の売り込みと思われる不審なものもあるから油断できない。

 そう考えると結局、固定電話のある自宅にほとんどいない勤め人、家にいても何かと忙しい一般の生活者、知らない人からの電話には応じない慎重居士、何らかの理由でその調査主体の世論調査に協力したくないアンチな人々の考えは、世論調査の結果にはほとんど反映されない。極論すると、世論調査に回答するのは、電話がかかってきた時間にたまたま在宅していて、それに好奇心か好意を持てる閑人が大半だ。その種の人々から得た回答が、国民全体の考えを集約したものとは到底思えない。

 インターネットで誰かが勝手に取ったアンケートの結果では、極端な政治思想を持つ候補者が断然トップに立つことがある。調査対象の選び方によって結果が大きく変わることが、これを見てもわかる。

 ところが、マスコミや政府はそういった世論調査に固有の問題を顧みず、その結果をさも有り難そうな情報として伝える。最初は私もそんなものかと大目に見ていたが、年齢とともに懐疑的(skeptical)になってきたせいか、最近は強い違和感を覚える。

 この社会ではそろそろ、費用や時間がかかる割には当てにならない世論調査を減らすか止めてみてはどうか。かつて世論を集約するのにマスコミが大きな役割を果たしていたことは認めるが、インターネットが普遍的な(ubiquitous)通信手段になりつつある今日では、無名の人々が意見を発信する方法が多様化している。偏りのある手段で調べた「世論」を誰かが集約する必要はもはやなさそうだ。

(『財界』2014年10月21日号掲載)


※掲載日:2014年10月21日
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