Complimentary copy 献本 (連載第313回)

 初の著書を上梓したその昔、身内やお世話になった方々に献本(complimentary copy)を送ったほうがいいか迷ったことがあった。

 かつて私が近くに仕えたソニー創業者の井深大氏(故人)の場合、自らライフワークとしていた幼児教育関連の著書が多数あった。名誉会長室の書庫にはそのストックが常備してあって、そういった話題に興味を示した来客にはその場で本を贈呈できるようにしてあった。本をもらった相手がそれを読むかどうかは別にして、著名な井深氏のサイン(autograph)が入った本は、確かに良い記念品(souvenir)にはなったと思う。

 だが、無名な私が書いた本なんか、もらったところで別にうれしくもないだろう。わざわざ読後感を寄せたり、上梓のお祝いを贈ったりといったお気遣いをいただいたら気詰まりだ。そう考えた私は結局、自分と家内の家族、それに本の上梓に至る過程でお世話になった方に限って本を献呈することにした。

 刷り上ったばかりの自著を贈って本当によかったと思う相手は、その当時、病を得て入院していた母だった。けっして軽い病状ではなかったので、実家を遠く離れて暮らす私はかなり気がかりだった。入院先がたまたま、母がかつて看護師として勤務していた病院だったこともあって、ふだんは息子の自慢話などほとんどしない母が、その本を医師やら看護師やら同室の入院患者にも見せて回ったという。よほどうれしかったのだろう。

 後年、私の著書が出たことを知った親戚が書店に取り寄せて買ったり周囲にも薦めたりしていたと伝え聞いた私は、本を贈らなかったことで余計な出費をさせてしまったことを少し後悔した。たとえ本の内容に興味はなくとも、身内の誰かが本を出したことは、それだけで親戚にとって一種の慶事だったのだろう。

 本にサインするかどうかも迷ったところだ。字の下手な私は、人様に差し上げる真新しい本に自分の名前を書き入れることにためらいを感じた。そんなことをしたら、誰かに譲ることも古本屋に売ることもできず、処分に困るに違いないと思って、サインは入れなかった。しかし、これも後になって、あちらこちらで本へのサインを求められて面食らった。人のサインをもらった経験がほとんどない私はそこまで考えが及ばなかったが、有名であれ無名であれ、著者のサイン入りの本に価値を見出す人もいるのだ。

 このたび、本誌編集部のご好意で、長年にわたって続けてきた本連載の一部を再編集した単行本が出版される運びとなった。以前のほろ苦い経験を踏まえて、郷里の親戚にはあまねく贈呈しておくつもりだ。

(『財界』2014年7月22日号掲載)


※掲載日:2014年7月22日
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