Naive assumption 甘い想定 (連載第312回)

 集団的自衛権を合憲化しようとやっきになっている政府の主張を聞いていると、いかにも戦争を知らない世代のお坊ちゃん政治家の空理空論に見えてならない。

 想定されているケースのひとつに、海外で日本国民を救出した米軍の艦船を守るために自衛隊が出動するというのがあった。世界最強の機動力を誇る米軍を、専守防衛を旨としてきたこの国の自衛隊が守るために海外に出動するというシナリオが、はたして実際にあり得るのか。もとより、日本人なんか乗っていない米艦との共同作戦を可能にするのが目的なのだろうから(そうでなければ集団的自衛権を行使する意味がない)、わざわざ邦人救出のケースを提示したのは、他党や国民を納得させるための一種の方便にしか見えない。

 また、海外で日本人がテロなどに巻き込まれた際、その国の同意があれば自衛隊が救出活動にあたるというが、これについても疑問がある。自国民の救助さえ断ってくる隣国の政府が、有事の際に自衛隊の入国に同意するとは思えない。想定するのは結構だが、甘い想定は誤った判断を導く。

 仮にたまたま自衛隊がいる場所で自らを守り、または日本国民や第三国の人々を救出するのは専守防衛の範囲内だ。それでいいなら、何も国会で延々と時間をかけて集団的自衛権について議論する必要はない。

 抑止(deterrence)についても、考え方が甘いと言わざるを得ない。いまさらこの国が集団的自衛権を持つと言い出したところで、それによって隣国の好戦的な態度が抑えられるとは考えられない。隣国が恐れているのは、巨大な核戦力を含む米国の軍事力だ。つまり、圧倒的な破壊力・攻撃力のために自国に甚大な被害が生じることを恐れる核抑止(nuclear deterrence)効果が働くからだ。いま、この国が集団的自衛権を掲げて中途半端な通常兵力をあちらこちらに展開したところで、偶発的な軍事衝突の危険が高まるだけで、抑止どころか戦争を誘発しかねない。安易な抑止論という生兵法こそ大怪我のもとだ。

 政治家は、何かというと制度や組織をいじろうとしては小田原評定を繰り返す。だが、今の国際社会において重要なのはむしろ、緊張緩和に向けた情報の収集・発信、そのための国際世論の形成だ。現政権が集団的自衛権の合憲化を目指してつじつま合わせに奔走する姿は、私には奇異に映る。

 この国の政治家はどうも、地に足がついた現実的な議論(down-to-earth discussion)に弱いところがある。隣国と干戈を交えることだけはないように、為政者にはもっと、世界を正しく見通す慧眼と洞察力を磨いてほしいものだ。

(『財界』2014年7月8日号掲載)


※掲載日:2014年7月22日
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