Liberal リベラル (連載第310回)

 最近、政治家を形容するのに「リベラル」(liberal)という言葉をほとんど聞かなくなった。少なくとも私が大学で政治学を学んだ1980年代以前、「リベラル」は日本語でも英語でも、進歩的な考え方を持つ政治家についてごく普通に使われていた。ところが、米国で保守主義を掲げるレーガン大統領の人気が高まったころからだろうか、liberalという英語の形容詞は、左翼的な、ひいては頭のいかれた(wacky, loopy)政治家のイメージと結びつけられるようになった。政治家の修飾語としては、今では悪い意味合い(bad connotation)で使われることが多いようだ。

 複数の政党が切磋琢磨することで健全性が維持される民主政治において、たとえば左翼対右翼、革新対保守といった古い対立構造に代わる明確な選択肢が見当たらない現状では、旧態依然とした保守政党の政権が続き、政治への無関心(political apathy)を生じやすい。そろそろ「リベラル」に代わる、良い意味での「保守」の対義語が欲しいところだ。政権交代を目指す政党の離合集散が相次いだが、いずれもぱっとしない。保守政党に取って代わる可能性がある政党が超保守的な(ultra-conservative)政党しかないとしたら困ったものだ。

 中道(middle-of-the-road)政党がその役割を担うと期待された時期もあったが、結局あるものは(喩えが下品で恐縮だが)保守政党に金魚の糞のようにくっついて連立政権を組み、またあるものは万年野党に留まった。「中道」もまた、「リベラル」と同様にすっかり手垢のついた、時代遅れの(outdated)イメージがある。

 私たち日本国民は新たな政治的対立軸をどこに求めればよいだろうか。そのひとつは、小泉純一郎元首相が最近、強く訴えた脱原発だ。どうせやるなら、ただ単に原発を否定するだけの単一争点型ではなく、廃炉・除染技術の確立と再生可能エネルギー(renewable energy)の積極的な開発推進を目指す環境保護主義的(pro-environmental)な方針を党是としながら、21世紀に相応しい国家像と国民生活の向上を目指す本格的な政党を立ち上げてもらいたい。

 先進的な平和主義を堅持するのか、それとも同盟国とともに武器を取って戦う「普通の国」になるのかも、近い将来のこの国にとって重大な選択となろう。集団的自衛権を認めるために憲法解釈を突如変更し、あるいは積極的平和主義などという、そのまま英訳しても国際的に通用しない言葉を弄した弥縫策を繰り返すのは剣呑で、けっしてこの国のためにならない。

 国家百年の計に立ち、新たな旗印を掲げて国を率いる。そういう政治家の志があってこそ民主政治は発展する。

(『財界』2014年6月10日号掲載)


※掲載日:2014年6月24日
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