Poor excuse 下手な言い訳 (連載第306回)

 最近、一部の公職者の不適切な発言が相次いだ。某公共放送の会長は「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない」と、報道の中立性を疑われかねない趣旨の見解を記者会見の席で述べた。一方、某首相補佐官は「(首相の靖国神社参拝問題に関する)米国の態度には我々のほうが失望した」などと、同盟国との信頼関係を傷つけるおそれのある発言の映像をウェブサイトに掲載したという。

 いずれも批判を浴びた直後に「個人的な見解」として「取り消す」ことによって事態の沈静化を図っていたが、かくも下手な言い訳(poor excuse)で、はたして世間が納得するだろうか。本人が取り消したところで、それを無分別な発言とは思わない人物が要職を占めている報道機関や政府に対する不信感は消えない。現場の関係者が長年にわたって培った信用や信頼は、彼らの不用意な一言で一瞬にして水泡に帰してしまう。

 たとえばこれが一般の民間企業の経営者なら、普通はもっと慎重だろう。少なくとも、自社の製品やサービスへの信頼を損なうようなことを、個人的な見解だといってわざわざ公言する経営者は見たことも聞いたこともない。

 もちろん、話の内容によっては個人の発言として済まされることもある。だが、それはまったくプライベートな問題か、職務に関係のない話題に限られる。たとえば、自身の不倫疑惑について聞かれた某国の大統領が、それに何か答えようと、あるいは何も答えまいと、そのことで国の指導者としての姿勢を問われることはない。

 仮に個人的な発言だから問題ないと本人が確信しているなら、何も取り消すことはない。そうではなく、失言を本当に反省しているなら、開き直らずに謝罪したほうがいい。米国のオバマ大統領は最近、"Folks can make a lot more potentially with skilled manufacturing or the trades than they might with an art history degree."(人々は美術史の学位よりも熟練したものづくりや手に職をつけたほうがずっと稼げる可能性がある)という失言に抗議してきた美術史の教師に、"Let me apologize for my off-the-cuff remarks."(私の思いつきの発言を謝罪したい)と自筆の謝罪文(handwritten letter of apology)を送ったという。世界最高の権力の座にある彼の潔さは見習ってもいい。

 ここまで書いてふと思った。公共放送の会長や首相補佐官といった役職は、もともとその程度でも務まるのかもしれない。だとすれば、そのような人物の発言を逐一報道する必要はあるまい。しかし、高禄を食む役職者の選任のあり方、あるいはその役職の必要の有無は見直すべきではないかと思う。

(『財界』2014年4月8日号掲載)


※掲載日:2014年4月22日
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