Intra-party democracy 党内民主主義 (連載第118回)

 ロナルド・レーガン氏(Ronald Reagan, 米国第40代大統領=故人)の言葉に"Democracy is not a fragile flower; still it needs cultivating."(民主主義はけっして、ひ弱な花ではない。それでも手入れは必要だ)というのがある。民主主義に対する思い入れとともに一種の警告が含まれた、なかなか含蓄のある言葉だ。

 どこかで選挙があるたびに思うのだが、政党が公認または推薦する候補者がどのような経緯で選ばれてきたのかが、ほとんど見えてこない。

 若い人が政治を志して立候補するのは大いに結構だ。しかし、それまで何ひとつ満足な仕事をしてこなかったり、地方議員の職を途中で投げ出したりしてきた未熟な候補者を見ると、私などはそれだけで投票する気が失せてしまう。最近は世襲議員か官僚出身者でもなければそのような候補が多く、いささかうんざりしてきた。

 もとより、いくら豊富な良識や経験があっても、堅気の仕事に就いている一般市民がすべてをなげうって選挙に出ることは不可能に近い。このあたりは代議制(representative system)の限界なのかもしれない。

 政党が推す候補は有権者(voters)にとって限られた選択肢なのだから、せめて、候補者選出のプロセスをもっと透明にすべきではないか。ルールとして確立された党内民主主義(intra-party democracy)により選ばれた、選良の名に値する候補者を立ててほしい。

 二大政党が提供する貧弱な選択肢を補うためには、小政党にもっと頑張ってもらいたいところだが、党内民主主義という観点からすると、これが大政党にもましてお寒い限り。特殊な思想的背景を持った個人や団体の意向が党内人事に強く働くのはもとより、せっかく国民が選んだ議員が不透明な事情で辞めさせられるに至っては、有権者のひとりとして看過できない。

 この問題を考えるひとつのよすがとして、元共産党幹部の筆坂秀世氏が離党後に著した『日本共産党』(新潮新書)を買って読もうとしたが、発売直後からほとんど手に入らないほど品薄状態という。初版の発行部数が少なすぎたせいかもしれないが、この本が注目を集めているとしたら、それは既成の政治勢力に対する人々の危機感のひとつの現れかもしれない。

 この国の民主主義の成熟を期すためにも、様々な角度から考え直すべき時期に来ているように思う。

(『財界』2006年5月30日号掲載)

※掲載日:2006年6月3日/再掲載日:2015年1月19日
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