Apolitical 政治に無関心な (連載第98回)

 政治に対する関心が薄い人を指す古い言葉に「ノンポリ」というのがある。non-politicalを略したものだろうが、この言葉はどちらかといえば「非政治的な」という意味だ。「政治に無関心な」という意味の形容詞には、apoliticalのほうがよく使われる。

 最近はこの「ノンポリ」という言葉をあまり聞かなくなったような気がする。政治的無関心(political apathy)がそれほど問題にならない時代なのだろうか。近頃ではむしろ、凶悪犯罪や無就業者(いわゆる「ニート」)の急増とか学力の低下といった問題のほうがよほど深刻である。とすると、この国の社会は数十年前より後退しているのかもしれない。

 一方、お隣の大国・中国は最近、日本との関係をやたらと政治問題化してくるようだ。過去にどれほど不幸な歴史があるにせよ、大国ともあろうものが外国の首相による一宗教施設の参拝を公然と批判するのは、政治的無関心層に属する私の目から見ても、かなり奇異に映る。もっとも、東シナ海の海底ガス田をめぐる両国間のせめぎ合いや日本の国連安保理常任理事国入りといった一連の動きも考え合わせると、些末な問題まで政治的な駆け引きに使おうと躍起になる彼の国の考え方もわからないではない。

 しかし、戦前のこの国が戦争に巻き込まれていった歴史的経緯を振り返ると、政治家やオピニオンリーダーが率先して国益だの愛国心だの歴史認識だのと叫んで民衆を煽る傾向は、その国の社会の平和と安全にとってけっして望ましいものではない。

 こう考えると、ある程度の政治的無関心は、民心が安定した健全な社会の指標といえるかもしれない。彼の国の古い成句にも「鼓腹撃壌」という良い言葉がある。民衆が太平を楽しんでいれば、為政者や外国に対する不満や怨嗟の声はそうあがらないものだ。

 もっとも、政治的無関心にも許される限度というものがある。この国の政治家や若い人々が、かつて東アジアを惨禍に陥れた戦争の歴史をほとんど認識していないとしたら、それはそれで問題だ。知らないから何も言えないのと、わかっていながら意図的に沈黙を保つのとではまったく違う。

 英語の諺にいわく。Wise people think all they say, fools say all they think.(賢者は、口に出すことをすべて考える。愚者は、考えることをすべて口に出す)。お互いに肝に銘じておきたいものだ。

(『財界』2005年7月19日号掲載)

※掲載日:2005年8月3日/再掲載日:2015年1月11日
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