Legitimacy 正当性 (連載第70回)

 こともあろうに最近、大臣や知事といった要職にある政治家が記者会見の席で憲法を公然と軽んじる発言を耳にすることが多くなった。

 中には、マッカーサーから押し付けられた憲法だからとか、英語から翻訳された条文の日本語がおかしいからダメだと揶揄する声さえあるようだ。

 しかし、少し冷静な目で見ると、そのような主張がまったくの的外れだということはすぐにわかる。

 成立の経緯についていえば、現行の憲法は戦前の帝国憲法の改正を昭和天皇が裁可し、時の内閣の署名を経て議決されている。たとえ連合国総司令部(GHQ=General Headquarters)の草稿を翻訳してできたものだとしても、成立の過程を理由に否定される筋合いはない。

 日本語がおかしいといって憲法を軽視するかのごとき戯言に至っては、笑止千万だ。もしそのような意見がまかり通るなら、世間で使われていない法律独特の用語を使って醜い日本語で書かれた条文の多くは、従わなくてもいいことになってしまう。

 かくも軽佻浮薄な発言が公の席で飛び出すのは、正当性(legitimacy)という概念やその重さを理解していない政治家が増えているからだろう。

 戦後日本の平和と民主主義、基本的人権を支えてきた日本国憲法は、日本国民の多くがその理念を支持し、その崇高な精神に共鳴してきた大典である。成立の過程や日本語の巧拙はどうあれ、国民の総意によって正当性を与えられてきた。

 正当性は、形式的な合法性(適法性、legality)とは違う概念である。たとえば、形式的には違憲論もあった自衛隊が国民の大半に支持されてきたのは、その存在の正当性が国民によって認められてきたからだ。条文をひたすら杓子定規に解釈して是非を決めるほど、この国の国民は単純ではない。

 裏を返して考えるとよくわかる。たとえどれほどの名文で書かれていても、また、議会で大半を占める勢力が賛成したとしても、社会が求めている普遍的な価値と相反する内容の憲法であれば、正当性はけっして持ち得ない。

 改憲に向けた議論が盛んになったからといって、すでに確立した正当性を持つ現行憲法やその精神をないがしろにしていいということにはならない。卑しくも政治家たるもの、それくらいは理解した上で議論に臨んでほしいものである。

(『財界』2004年5月25日号掲載)

※掲載日:2004年6月9日/再掲載日:2015年1月6日
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