State secrecy law 特定秘密保護法 (連載第301回)

 喧々囂々(けんけんごうごう)たる非難の中で特定秘密保護法が成立した。海外メディアはその名称をstate secrecy law(国家秘密法)などと英訳している。十分な審議を尽くさなかったその成立経緯や法律としての欠陥についてはさておき、法律で秘密が守られるものかと私はかねがね疑問に思っている。

 人に秘密を守らせるのは、法律や契約に基づく強制や罰則ではなく、各人の信義や職業倫理だ。市井のしがない翻訳者の私も仕事柄、顧客情報の守秘は厳守している。米国の企業あたりはよく秘密保持契約(Non-Disclosure Agreement, NDA)の締結を求めてくるが、そんなものはなくても、顧客の秘密を守るのは当然のことだ。私は、顧客から依頼された仕事の内容はおろか、その社名さえ漏らしたことはない。それがプロのフリーランスの矜持だ。まして政治家や公務員たるもの、祖国の安全や平和を損ないかねない秘密の漏洩に加担するなど、そもそもあってはならぬことだ。

 法律で縛ろうとするのは、公僕が互いに、あるいは国民を信用していないからだろうか。一部の公務員の不行状を見ると、それもわからないでもない。だが、信用してもらえないほうとしては面白くない。私自身の経験で言えば、NDAの文面をいちいち読まされ署名させられるよりは、黙って自分を信用してくれたほうが気持ちよく仕事を受けられる。

 秘密というものはそもそも、それに接する人数が少ないほうが漏れにくい。守るべき秘密を文書で指定し、それを管理する役人、さらにその妥当性を審査する第三者機関(これも役人だとか)を置くなど仕組みが複雑になればなるほど、秘密を知る関係者の数は増える。これは、秘密を保護するという法律の目的と矛盾してはいないか。秘密を守りたいなら、その存在さえ知られないほうがいいのだ。

 秘密を窃取しようとする外国の間諜は、捕まえて取り調べようにもその身分は往々にして外交官(diplomat)となっているから、不逮捕特権により、せいぜい国外退去処分にしかできない。海外に拠点を置く盗聴犯に至っては、特定すらできまい。となると、法に触れて捕縛されるのは、金で雇われた下っ端の手先だけだろう。

 特定秘密保護法に何か意味があるとすれば、法の体裁を整えて同盟国に示したことか。多分に形式的なNDAに署名させられるのにどこか似ている。それ以外には、元CIA職員のスノーデン某のように、政府の秘密を暴露した「裏切り者」に対する国家としての報復を合法化するくらいしか用を成さないように思われる。

 すったもんだの挙句に成立したあの法律は、我々国民にとってはあまり有意なものではなさそうだ。

(『財界』2014年1月28日号掲載)


※掲載日:2014年1月28日/再掲載日:2015年3月7日
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