SDF 自衛隊 (連載第291回)

 日本国憲法の改正を目指す一部の政党の綱領には、私はかなり懐疑的(skeptical)だ。時流に乗るのは好まない性分ゆえ、この問題にはこれまで触れてこなかったが、かつての政治学徒として、それ以前に日本国民のひとりとして、ここに懸念を表明しておく。

 お断りしておくが、私は憲法改正をいっさい否定するつもりはない。憲法が「不磨の大典」―改正を許さない硬性憲法であるべきだとは考えない。しかし、膨大な労力と時間をかけてまで、ただちに改正する必要があるとも思わない。この国にはそれ以前に解決すべき現実の(down-to-earth)諸問題が山積しているからだ。

 改正に向けた議論の中でも、自衛隊を国防軍とやらに改称するという案は理解に苦しむ。仮にそうしたとして、いったい誰が喜ぶのか。最大の同盟国である米国の政府や国民が歓迎するとは思えない。米国は、自衛隊が前面に出て戦うよりも、従来通り後方支援の役割に期待しているだろう。まして、マッカーサー(GHQ最高司令官)に押し付けられた憲法だから変えたいなどといわれた日には、米国としては面白くないに違いない。

 自衛隊が軍になると、隊員の士気があがるのか。かつて陸上自衛官だった私の父は、もちろん戦争には行かなかったが、国を守る自衛隊員であることに誇りを持っていた。誇りを持つために軍人である必要はあるまい。

 自衛隊(the Self-Defense Forces, SDF)という名称が海外で通じにくいという意見も耳にするが、この種の議論は、実は国内向けでしかない。陸海空の各自衛隊は、英語では一般にthe Japanese Army/Navy/Air Forceで通じるし、いまさら自衛隊を国防軍と呼んだところで、何がどう変わるわけでもない。国内と海外で呼称や基準が異なる例など探せばいくらでもある。

 心配なのは、自衛隊を軍と改称することで、正当防衛的な武器使用の制限を超えて、たとえ自衛目的であれ、外国に武力を行使するという選択の余地が生じかねないということだ。軍を称する以上、戦いを挑まれれば戦うことになる。防衛のためには先手を打って攻撃を仕掛ける必要も生じよう。人々を戦乱から守るという義のための武力介入も検討の俎上に上るかもしれない。戦争を知らずに育ったこの国の大多数の国民や政治家に、そのために軍を動かす能力や覚悟があるとは到底思えない。生兵法は大怪我のもとだ。むしろ、日本が持っているのは自衛隊だから戦いませんと言い続けたほうが、より多数の人々の幸福と繁栄、ひいてはこの国の国益と世界平和に寄与する可能性が高い。

 政治指導者は、自己の偏狭な歴史観や信条にとらわれることなく、大局的な観点から政策を立案してほしい。

(『財界』2013年8月27日号掲載)


※掲載日:2013年8月27日/再掲載日:2015年3月5日
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