Deterrence 抑止 (連載第36回)

 核抑止(nuclear deterrence)という言葉と概念を初めて教わったのは、大学の国際政治の授業であった。ソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻するなど、米ソ間の緊張が高まっていた時期だった。

 deterという言葉を辞書で引くと、「抑止する、思いとどまらせる」と出ている。核戦争がいったん起きると、交戦当事国の国民の多くが死傷するだけでなく、下手をすると人類滅亡にもつながりかねない。超大国(superpower)が保有する核兵器(nuclear weapons)のバランスを取り、いわば相手国の国民を人質に取る形で「恐怖の均衡」(balance of terror)を維持することによって核兵器の使用を思いとどまらせるというのが、かつての抑止理論の基本的な考え方だったと思う。

 もっとも、この抑止という考え方が成り立つには、核保有国の指導者が理性的な判断ができることがその前提となる。1962年に起きたキューバ危機に際して、米国のケネディ大統領は、人類の絶滅をもたらしかねない核戦争の回避に不眠不休で努めたと伝えられる。相手方であったソ連のフルシチョフ首相もまた同じ思いであっただろう。

 一方、同胞の生命や幸福な生活を犠牲にすることを意にも介さない指導者や政府が率いる国家については、抑止は成立し得ない。つまり、そのような国が核武装を進めているからこちらも核を保有して対抗するという考え方は、かえって危険だ。自国民への報復を恐れずに核兵器を先制使用してくるからだ。

 国民に正しい情報を伝えない独裁国家には、われわれの常識はほとんど通用しない。そのような国に住む国民自身が立ち上がらない以上、国際社会全体の協調と努力によって、核兵器を始めとする大量破壊兵器の開発・保有を断念させるとともに、常識的な考え方ができる国に変えていかなければならない。ときには粘り強く交渉し、またときには力を背景に押しまくる必要もあるだろう。

 そのような国と交渉に当たらなければならない国の指導者は大変だろうが、どうか頑張ってほしい。また、その過程で犠牲を強いられる個人やその家族の皆様にはたいへん気の毒なことだが、真の平和実現の日まで耐え抜いてほしい。一介の個人としての私自身は何もできないが、この誌上を借りて皆様とともに祈りたい。

(『財界』2003年1月7日号掲載)

※掲載日:2003年1月29日/再掲載日:2014年12月31日
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