An act of God 天変地異 (連載第239回)

 〔2011年〕3月11日に発生した東日本大震災はそのエネルギーの大きさでも、大津波による犠牲者の多さでも、文字通り未曾有の大天災だった。ここ東京でさえ、2ヵ月を経た今も余震を感じるたびに、あの大地震の恐怖を思い出さずにはいられない。

 「天変地異、天災」を意味する英語にan act of God というのがある。神の仕業、すなわち人知の及ばないところというのが原義であろう。人類の限られた知恵など所詮、天(=自然)の前には無力である。  あの地震のあと、東京大学のロバート・ゲラー教授は「日本政府は、欠陥手法を用いた確率論的地震動予測も、仮想にすぎない東海地震に基づく不毛な短期的地震予知も、即刻やめるべきだ」と主張した(Nature誌、2011年4月14日号)。私は地震学には無知だが、これには一理あると思った。

 「地震予知〜」などと称すること自体、地震は予知できるものだという誤解を生じやすい。だが現実には、これほどの巨大地震を予知できた者はいなかった。予知できないのに予知を云々するのは羊頭狗肉ではないか。地震が起こったあとであれこれ理屈をつけたり言い訳をしたりすることが予知研究の実態だとしたら、そんなものは予知の名に値しない。

 「想定外」という言葉にも同じような問題を感じる。今回の地震のエネルギーや大津波が想定外だと弁明する向きもあるようだが、そもそも人知では測りえないものを机上の空論で想定すること自体が、大きな誤りではないだろうか。

 一方、この地震の発生前から、1100年以上前にほぼ同じ地域を襲った貞観地震による津波が広い範囲に被害を及ぼしたと警告していた研究者がいたという。それほど遠い過去の例を引かなくても、2004年にスマトラ沖で発生したあの地震を思い出せば、このような大津波の発生は当然、想定の範囲に入れておくべきだった。

 結局、地震予知など到底不可能な現時点では、私たちは過去の経験にもっと学ぶべきではなかったか。

 もちろん、地震に備える以上、被害の程度や範囲をある程度想定するのは必要なことかもしれない。それでは、一千年に一度くらいしか起こらない稀有な天変地異にも備えて対策しておくべきか。少なくとも原子力発電所に関する限り、その通りだと私は思う。まかりまちがえば、私たちが愛する国土や故郷の居住環境を半永久的に破壊しかねないのだから。

(『財界』2011年6月21日号掲載)


※掲載日:2011年6月21日/再掲載日:2015年2月20日
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