Catastrophic earthquake 大震災 (連載第236回)

 〔2011年〕3月11日午後2時46分頃。自宅2階のテレビから緊急地震速報が流れた。前々日に東北地方で強い地震があったので、その余震が起きたかと思っていたら、前震に続いてゴゴゴという轟音とともに、横に強く引っ張られるような衝撃を感じた。私は階下にいた家人に「動かないで!」と叫ぶのが精一杯だった。

 揺れが少し収まってから1階に降りたところ、転倒防止器具が役に立ったか、食器棚は倒れていなかった。しかし、そこで再びテレビに目をやった私は息を飲んだ。すでに東北地方太平洋沿岸の港町に押し寄せた津波によって、多数の船や自動車が翻弄されていた。画面上の日本地図は大津波警報または津波警報を示すラインで囲まれていた。これが悪夢なら、早く覚めてほしいと思った。

 報道では東北関東大震災または東日本大震災(注)、英語ではThe Japan EarthquakeまたはThe Tohoku Earthquakeなどと呼ばれるこの巨大地震と津波による死者・行方不明者は2万数千人を超えた。数十万人が家を失って避難所生活を余儀なくされ、東日本全域に住む数千万人が今も原発事故の恐怖やエネルギー危機に脅かされている。

 地震直後の数日間、私は周章狼狽していた。食料品や生活雑貨は平時から少し買い置きしてあるので何も買い急ぐことはなかったが、高いところにあった食器類を下に降ろすなどして余震に備える以外、ほとんど何も手につかなかった。

 そのうち海外の得意先や知人から、私と家族だけでなく日本中の人々の安否を気遣う電子メールが届き始めた。私はお礼のメールを出すにあたって、こちらの状況をできるだけ詳しく伝えることにした。自宅のある都内の被害は比較的軽微だったが、東北地方が甚大な被害を受けたこと、各地で停電・断水が続いていること、一部の生活物資が店頭で品薄になっていること、自衛隊員や消防士らが日夜を通して原発事故と戦っていること…。誰も読まないかもしれないが、全世界に向けた感謝の気持ちを日英両語でブログにも書いた。

 未曾有の国難にある私たちに心温まる言葉や支援の手を差し伸べてくれた各国の政府や市民に謝意を表明するのはもちろんだが、この大惨事の影響や対策も含めて詳しく説明することも、私たち日本人が果たすべき責務ではないかと思う。これから何をすべきか、何ができるか、微力ながら私も考えていきたい。

(『財界』2011年5月10日号掲載)

(注)東北関東大震災または東日本大震災: 国内ではその後「東日本大震災」に統一されました。詳しくは拙ブログの記事をご覧ください。


※掲載日:2011年5月24日/再掲載日:2015年2月19日
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