Eco-terrorist 環境テロリスト (連載第211回)

 捕鯨反対を唱える外国の過激派がかまびすしい。先日〔2010年3月〕はついに、日本の捕鯨調査船に乗り込んできた一味の一人が逮捕された。どうせ宣伝目的でやっているのだろうから、その挑発に乗って過剰に反応するのは禁物だ。

 しかしながら、子どもの頃、給食に出た鯨肉を食べて育った世代の日本人の一人としては、この国の食文化を頭ごなしに否定するだけでなく、暴力行為にまで及ぶこの種の環境テロリスト(eco-terrorist)には大きな憤りを覚える。

 日本人は、食べるために鯨を捕獲してきた。かつての米国のように、鯨油だけ取って残りを捨てたりはしない。まして、娯楽を目的とした狩猟や釣りと捕鯨とでは根本的に異なる。漁獲資源保護の観点からいえば、すでに増えすぎた種類の鯨の一部を獲ることは、農作物を荒らす鹿やカンガルーを駆除する人類の普遍的な行為と、本質的には何ら変わりない。ありとあらゆる動物をあたかも絶滅危惧種(endangered species)のように扱うのは、どだい無理な話だ。

 なぜか鯨だけを、知性のある特別な動物だから殺してはいけない、と主張する保護活動家のわけのわからぬ理屈に至っては笑止千万だ。牛や豚は、それほど知性がないから殺して食べてもいいとでもいうのか。

 捕鯨反対論に対する以上のような反論は、インターネット上でもよく見られるところだ。私も日本人のひとりとして、声を大にしてそう言いたいのはやまやまだが、何をどう言ったところで、環境テロリストやその支持者は聞く耳を持たないだろう。

 私にいわせれば、日本人ほど動物を愛する国民もない。生きとし生けるものをことごとく慈しむ仏教的な世界観を背景に育ってきた人が多いせいだろうか。その昔の日本人のタンパク源は、魚介類や豆類が中心であって、獣を食う食習慣が西洋から入って定着したのは近代以降のことだ。

 われわれ日本人は、動植物を愛し、自然との共生を目指すわが国民性を、世界に向けてもっと積極的に宣伝すべきだろう。もちろん、それに相応しい行動も必要だ。たとえば、無責任な飼い主が捨てた多数の犬が殺処分されている現状は、すみやかに改善すべきである。

 海外の一部の過激派の一方的な宣伝がマスメディアをにぎわして、われわれが野蛮人のような目で見られるのはご免蒙りたい。

(『財界』2010年4月20日号掲載)


※掲載日:2010年4月20日/再掲載日:2015年2月15日
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