Athlete アスリート (連載第209回)

 昔は運動選手のことをよくスポーツマン(sportsman)と呼んでいたが、最近はアスリート(athlete)という言葉を使う傾向が強いようだ。

 その理由のひとつに、-manという接尾語が男性中心の発想だとして、一部で避けられるようになったことがあげられよう。たとえば、chairman (チェアマン=議長)は、私がまだ大学生だった1980年代前半にはすでに、 chairperson(チェアパーソン)と言い換える傾向があった。それと同じ理由からsportspersonという英語も使われているようだが、この種の新語は何となくまどろっこしい。

 アスリートと聞けば、私はどちらかというと職業運動家(プロ)か、それに近いレベルの選手を思い浮かべてしまうが、改めて調べてみると、アマチュアも含めた運動選手の意味でも(つまりスポーツマンと同義で)使われているようだ。ただし、英語のathleteは、もっぱら陸上競技(フィールド/トラック)選手を指す言葉として使っている国もあるらしい。

 かつて、運動選手がスポーツマンと呼ばれていた時代には、スポーツマンシップ(sportsmanship)やアマチュア精神(amateurism)がしきりに強調されていた。五輪代表選手の多くは企業の運動部に所属し、その将来の生活は終身雇用制度によって保証されていた。

 しかし、今日では運動部を縮小または廃止する会社も多く、選手の中には、活路を見出すためにセミプロまたはプロに転進する者もいる。一方、各競技のレベルは著しく向上しており、選手が栄冠を勝ち取るまでには、トレーニング設備や外国から雇うコーチに多額の費用がかかるようだ。アマチュア選手の潔いスポーツマンシップを称えていれば満足できた良き時代は、すでに過去のものになった。

 プロであるアスリートが宣伝媒体としての自身の価値を高めるには、必然的に目立たざるをえない。しかし、競技の直前までレポーターが選手を追いかけ、その一挙手一投足に好奇の目を向けるマスコミの喧伝(media hype)を傍から見ていると、私などはとても嫌な気持ちになる。いくら一流選手が常人とはかけはなれた精神力の持ち主だといっても、それによるストレスやプレッシャーは相当なものに違いない。

 オリンピックのようなお祭りでは多少は仕方がないとしても、アスリートに対しては、ある程度の距離と節度を保った取材を心がけてほしい。

(『財界』2010年3月23日号掲載)


※掲載日:2010年3月22日/再掲載日:2015年2月14日
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