Greetings!  市井の英語屋からご挨拶 (連載第2回)

 会社員時代の社内通訳としての体験記〔『英語屋さん ―ソニー創業者・井深大に仕えた四年半』 集英社新書〕を昨年〔2000年〕2月に上梓して以来、いろいろなご縁でモノを書く機会をいただいた。この連載もそのひとつである。かつて通訳の手ほどきをしていただいた恩師でもあり、長きにわたって本誌〔『財界』〕で健筆を揮われていた村松増美先生〔故人〕のご紹介で、はからずも続貂(ぞくちょう)の栄にあずかった。

 それはありがたいのだが、一介の翻訳者に過ぎない私にまで「英語について何か書け」というお声がかりがあるほど、昨今の「英語ブーム」は過熱している。英語の試験で一定の点数を取らないと管理職に昇進させないという企業があったり、小学校から英語教育を導入しようという動きもある。

 しかし、ここで少し冷静になって考えてみよう。英語の能力とは、それほどまで万人に求められなければならないものか? それとも逆に、英語とはそれほど特殊な技能なのか? 

 最近、テレビでニュースを見ていたら、どうにも首をかしげたくなる場面があった。国際会議の席上、田中真紀子外相〔2001年当時〕が"I'm looking forward to seeing you..."(お目にかかれるのを楽しみにしています)などと外国の代表に言っている場面を映して、さも珍しいことであるかのように伝えていたのである。

 いったい、これのどこがニュースなのか? 外相が社交的な挨拶を英語で交わすくらい、ごく普通の姿だろう。いやしくも一国の外相になろうという政治家がその程度の英語さえできないとすれば、そのほうがむしろ異常である。

 報道側の意図をあえて察すると、従来の政治家はその程度の英語さえできなかったということを暗に伝えたかったのだろうか。否、おそらく歴代の外相も、それくらいの挨拶はできただろう。何かと話題の田中外相だからこそ、かくも大仰に伝えられたのだろうか。

 このようにつまらないことをわざわざ報道すること自体に、日本人が英語に対して持っている奇妙な劣等感が現れているのかもしれない。英語を話す人に対する羨望や嫉妬といった特別な感情が、いまだに潜在意識の隅にこびりついているのだろうか。

 そのような考え方は、たいがいにしようではないか。この連載では、もっと自然体で、楽しく英語に接するためのアイディアを提供していきたい。

(『財界』2001年7月24日号掲載)

※掲載日:2001年7月25日/再掲載日:2014年12月28日
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