左図は長野市郊外、犀川と千曲川(信濃川)が合流する付近の左岸に設置されている信越放送の送信所です。ここに設置される前は長野市街地北部にあった演奏所と同居していたとのことです。
鉄塔は円管柱で紅白に塗り分けられている良く見る中波送信所の格好ですが、支線が4方5段で一番上の支線も紅白に塗り分けられています。
支線が紅白に塗り分けられていますので、碍子をまたぐ避雷コイルもそれに応じて塗り分けられていました。ただ、碍子は白のままでした。
鉄塔基部に絶縁碍子が見えていますが、局舎から鉄塔(給電部)にかけてダクト状になっています。雪よけ…なのでしょうか、それにしても支柱部のコンクリート基台とか、かなり頑丈な構造物の様に見えます。
後方に見えている段々状の建物はエムウェーブ、直線距離で約1キロほど向こうにあります。一番上の全景の中でも見えています。ここ(屋島)とエムウェーブ(北長池)の間は大豆島という地名です。まめじまと読むそうで大の字の立場がないのでは…?と思ってしまいました。
左図はSBCの各送信所で良く見かける5素子の八木宇田アンテナを垂直設置したものです。指向方向は左手方で、放射器は右から2番目です。中央の素子(第1導波器)が他の素子より太くなっていますが、これはアンテナ素子に着雪が生じた場合雪の誘電率や着雪程度により空中線の周波数帯域が変化し好ましくないものになるため、着雪しにくい様にレドーム(カバー)を設けているためです。
他のSBC送信所では放射器にカバーがあったりしましたが、放射器が折り返し型式だったのでそこに着雪しない様にした結果かも知れません。あるいは雪の質、降雪量が地域によって異なるためそれぞれの地域に適した雪害対策があるのでしょうか?
送信所の受電部分です。左手方より電力会社からの絶縁電線を保安上の責任分界点である、送信所敷地内(構内)にある構内第1号柱で受け区分開閉器を経て変電室に送られます。
撮影:2009.10.31 8時頃
左図は長電桐原駅の北西約500m程の位置にある大型電気店駐車場の片隅に設置してある開局の地の記念碑です。手元にある2004年1月版のクイックマップルには信越放送と記載してありますが、上の送信所を見に行った際にエムウェーブ近くのコンビニで買った都市地図(長野市:2009年5版)にはヤマダ電機とあります。放送局跡地に電気店とはなんとなく縁がある…?と思ってしまいます。
ここに局舎があった頃は中波の送信所も同居していた様で、信越放送の50年という社史(国会図書館で閲覧可能)によると中波強電界下のテレビスタジオという記事があり、スタジオ機器へのインターフェア対策に苦慮されていたとのことです。
記念碑は駐車場の隅にあり、ここには大きな立木1本とベンチが置いてありました。記念碑を背に北の方を見るとこんな感じです。山の上にマイクロ中継局の鉄塔が見えています。
局舎は長野市中心部(善光寺の表参道である中央通りと国道19号交点)に引越してしまいましたが、放送局があった頃の通り名はまだ活きています。
撮影:2009.09.21 9時頃
初稿:2009.11.08
SBC長野(JOSR) 1,098kHz(5kW)…伊那・飯田と同じ周波数
SBC信越放送
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