操作卓全景 函館駅桟橋にかつての青函連絡船摩周丸が機関車でいうところの静態保存され、展示会場として機能しています。船舶無線設備は雑誌とかでしか見る機会がなかったのですが、この展示会場で実物に限りなく近い状態で見れました。一応モールス信号を打って見よう、と煽り文句があるので縦ぶれ、横ぶれの電鍵が置いてあり押下すると部屋一杯に響く音で鳴動します(ブレークインリレーの音…カチカチカチ…ってのもするのでそこそこ臨場感はあります)。手前の時計のある卓が通信卓、その後方に送信機があります。


整合器? 上の写真では壁際に送信機(アンリツ製)が埋め込まれてあり、天井付近から給電線が出てきています(その脇に呼出符号のJMHIのプレートがあります)。整合器らしきものを拡大したのが左の写真です。この函から銅パイプ3本が出てまた壁の中に入って行っています。手前のハンドルで整合を取る?それともアンテナ切り替え?機器銘板を良く確認してこなかったのが悔やまれますが、下から覗くと切り替え器の様な気がしました。


調整つまみ 再び操作卓の方にもどります。このパネルは操作卓左側にある「ARN受信機」という銘板が貼られた装置の受信チャネルを設定するつまみの様です。その設定された周波数は中波〜短波でお馴染みの周波数も幾つかありました。675kHzはNHK函館第1、1467kHzはNHK函館第2、3925kHzはラジオ短波、そして5000kHzは今はなきJJYですね。青函連絡船だからNHK函館はわかるのですが、NHK青森は設定していなかったのかなと思ったりして。それにしてもこれらの局を凾で選局しGAINで受信感度を設定していたのでしょうか…


ブレークインリレー 電鍵と反対側、操作卓の左側にあるブレークインリレーです。電鍵を押下するとこのガラス板の中にある継電器(リレー)が動作します。この部分は「第2装置送信機」という銘板が貼られていました。バーニヤダイヤルとか電流計とか、いかにも送信機の操作卓って感じがしてました。


 この他FAX受信装置(JRC製)とか港湾VHF送受信機とかも装置自身を触れる状態で展示してありました。またレプリカかもしれませんが送信機の図面とかもあったみたいです。通信室自体が展示室になっていて書類の引き出しとかもあるのですが、一部開けない様にネジ止め処置がなされていました。図面も一部破けているものがあり、実運用中に破損したままのをそのまま展示(しかも開架状態で展示)してあるのかどうかは定かではありませんが…

 船舶の通信士といえばラジオ少年の憧れのものの一つだったと思いますが、この展示案内に連絡船通信士も当初は3人体制から徐々に人が減り、連絡船最後では1人体制になったとありました。通信自体も電信から文字情報が直接送受できるデジタルに移行したことを勘案すれば妥当なことではないかと思います。また船舶電話も発達してきてましたから電報で通信を頼むということも無くなってきていたのでしょう。

 最後に、展示物の中には青函連絡船で避けて通れない話題…洞爺丸事故の資料もあります。この中で洞爺丸を始めとする洞爺丸台風で沈没したそれぞれの青函連絡船と陸上局との通信記録(電信のものを文字化したもの)が掲示してありました。通信途絶と記録してある部分を見てるとなんか、こう…えも言い様のない気がしてきました。


ひとつもどります