写真・文:長谷川智紀

 国鉄の分割民営化から早くも十年以上が過ぎました。
その間、次々と新型車両を投入する旅客会社に比べ、鉄道による貨物輸送はバブル期を除き衰退の道を歩んでおり、
ローカル線からは数多くの貨物列車が消えていきました。
このコーナーでは、そういったJR化後に消えていった貨物列車たちの姿を展示しています。


土讃本線5791列車 斗賀野→多ノ郷間 昭和63年3月撮影

平成三年度に廃止された土讃本線の石灰輸送列車。
DE10重連による単一編成のピストン輸送で、末期は5往復程度の運転でした。
使用されていたのは土佐石灰のホキ5200形式 で、作業用に機械室を取り付けたものも少数存在しました。

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飯田線5275列車 田切→伊那福岡間 

ED62を使用した飯田線の貨物列車は、平成七年まで運行されていました。
セメントが主な輸送品でしたが、石油・LPGといったタンク車も連結されていました。
写真はED62ではただ一両のみJR貨物標準色となった17号機牽引のセメント列車です。


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信越本線4381列車 二本木→新井間 平成4年2月撮影

JRに継承されたのはわずか6両のみだったEF62。
JR化後も最後の定期運用だった急行能登号の間合運用で
信越本線黒井-二本木間の化成品列車を牽引していました。
急行能登号の電車化と共にその姿を消しました。


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磐越西線5295列車 翁島→更科(信)間 平成2年6月撮影

磐越西線電化区間の主として君臨していたED77牽引の貨物列車。
末期はその一部を東新潟区のDD51に明け渡したものの、平成4年秋にED75に置き換わるまで、二往復の貨物列車を牽引していました。
その後、ED75による貨物列車も平成10年12月に姿を消し、郡山-広田間で貨物列車を見ることは出来なくなりました。


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奥羽本線453列車 板谷-峠間 昭和63年2月撮影

北日本一の難所として知られる奥羽本線板谷峠を越える貨物列車は末期でも3往復が設定されていました。
内訳はコンテナ二往復(内一往復は臨貨)、セメント一往復。
牽引は峠の主であったEF71・ED78による重連で、平成元年まで峠を越える姿が見られました


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武蔵野線1093列車 西国分寺 平成6年撮影

次世代の輸送形態と言われたタンクローリーピギーバック輸送ですが、荷役設備のコスト高等が障害となり普及しませんでした。
運転されたのは横浜本牧(神奈川臨海)−新座(タ)・越谷(タ)の一往復のみで増発されることもなく、
台車であるクキ1000形式の検査切れと共に廃止となりました。
このために新製されたクキ1000形式は結局一度も全検を受けずに廃車となりました。


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高崎線 行田 平成10年撮影

大宮(操)跡地を利用して建設中の埼玉新都心、その工事現場から出る残土を輸送するため、
大宮(操)-熊谷(タ)間に3本の専用列車が設定され、併せてコキ104-5000番台、UM12Aも新製されました。
同列車は高崎区のEF641000・EF65が牽引し、平成10年12月にその役目を終えました。
現在コキ車・コンテナ共にJRに売却され第二の使命に付いています。