平成13年10月6日、首都圏最後のDD51牽引の定期貨物列車が姿を消した。
筆者にはなじみの深い路線であっただけに、その移行期には頻繁に撮影に通ったのでその記録をまとめてみた。
・〜9/25 移行直前
千葉機関区の所属機は佐倉区から引き継いだ874・1801〜1804号機の他、門司機関区から転属してきた1031号機6両配置5両運用であった。千葉機関区所属といっても本区に来ることはなく新小岩派出を基地として運用されていた
しかし1031号機は機関不調のため7月より運用を離脱しており、愛知機関区より794号機を借り出し同機の代替としていた。
1031号機は置き換えの始まるのを待たず9/19の5960レで川崎機関区に疎開回送されている。
運用は大まかに次の通り
A51 新小岩〜蘇我往復(5975〜5962レ:単機回送)
A52 新小岩〜鹿島スタジアム往復(1099〜1098レ)
A53 新小岩〜蘇我往復(4097〜1092レ:田端所EF81次位回送)
A54 新小岩〜鹿島スタジアム往復(1455〜1094レ)
A55 新小岩〜鹿島スタジアム往復(1093〜1456レ)
の5運用で、A51とA53は仕業検査と給油のため京葉臨海への回送で、実質的な『営業運転』はA52とA54・A55の3運用であった。
この日からA54仕業(1455レ〜1094レ)にサヨナラHMが取り付けられた。
この準備のため25日にA53で京葉臨海に入った1804号機にHMステーが取り付けられている。
HMは2種類有り、逆台形と円形のものがA54仕業機の両端に30日まで毎日前後方向を入れ換えて取り付けられた。初日は逆台形が鹿島方であった。
この日からハンドル訓練のためA55仕業(1093レ〜1456レ)の前機に高崎機関区のEF65が連結された。
初日は茶色塗色で注目を集める56号機が1804号機、最終日の30日は残り少なくなった国鉄特急色の539号機が874号機を次位に連れ、鹿島線にその足跡を残している。
また9/30にはいち早く運用から外れる1803号機が無動回送手配のため、変A53仕業で村田に取り込まれ千葉区を去っている。
いよいよEF65の本格運用が始まった。
DD51の鹿島運用はA52(1099〜1098レ)の1往復のみとなり、A54・A55は高崎機関区のEF65に置き替えられた。
EL単機牽引では鹿島線に初入線となる1455レは前日A55仕業の前機となった539号機で、HM取付初日は国鉄特急色となった。
HMは横長の楕円形で青地に白文字で「電化直通運転開始」と書かれているモノ1種類が用意された。
この段階で、DD51の稼働機は1801・1802の2両のみとなり、1804号機が無動回送手配のため、変A51仕業で京葉臨海に回送されていった。
鹿島スタにてELの出発式が行われる関係で、DDはA55仕業に変更された。
出発式は1098レで行われ国鉄特急色のEF65541がわざわざ運用指定され任に付いた。
A55仕業は1802号機で、1456レを牽く最後のDDともなった。
またこの日、いち早く運用を離脱していた1803号機が5960レで千葉を去っている。
ここで転出回送について説明したい。
千葉区からの転属・疎開回送はいずれも蘇我から5960レ(蘇我13:46発)の次無動で発送され一旦倉賀野へ行き、そこから5760レで新鶴見に回され、そこから各所へと回送されている。発地が蘇我なのは次無動回送のため一度京葉臨海にて燃料の抜き出しなどの準備をするためである。
10/1と同じくDDの鹿島行きはA52仕業のみで1801・1802号機が交互に最後の鹿島運用をこなしていった。
3日には1804号機がEF65 118(高機)に牽かれ千葉を離れている。
そして貨物牽引最終日となった6日は1801号機がA52仕業で鹿島を往復して、貨物牽引の幕を閉じたのだった。
なお、この日の1098レは運転計画では単機となっていたが、実際にはコキ5車を牽引している。
6日で鹿島運用を終えた後も1801・1802の両機は12日まで予備機として新小岩で待機していた。
9日に愛知から借り入れていた794号機が返却の途についている。
予備待機の2両は3日に1回の仕業検査の必要が生じる為、8/9/11にA53仕業で蘇我を往復している。
だが、ここで珍事が発生した。
Group D2の掲示板によれば、10日に関東を襲った集中豪雨のため、ダイヤが乱れ4097レの本務機の手配が付かず、同列車は本来次機であるはずの1801号機の単独牽引により蘇我まで運転されたとのことである。
12日には、2日に千葉区のDD最後のA51仕業で京葉臨海に入った874号機が、5960レでEF651009に牽かれ千葉から去っていった。余談だがこのEF651009は鹿島電化記念HMを更新塗色機で初めて付けたカマでもある(5日の1455レ)
またこの日の4097レで1802号機が京葉臨海に取り込まれるはずだったのだが、今度は常磐線柏駅で起きた人身事故によるダイヤの乱れから所定より3時間近くも遅れている。
この段階でいよいよ新小岩派出に残るDD51は1801号機ただ1両のみとなった。
そして翌13日に4097レで1801号機が新小岩を離れ、千葉機関区のDD51はその姿を新小岩から消した。
蘇我に取り込まれた2両は週末の間に無動手配が行われ、週があけた15日に1802が、16日には1801号機がEF65 1034の牽引により蘇我を後にした。
こうして全てのDDが千葉から旅立ち、千葉県内からDD51の姿は全て消え去っていった。
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