森田三郎と谷津干潟


 現在の谷津干潟は、野鳥の楽園・国設鳥獣保護区として、またラムサール条約登録湿地として習志野市のシンボルともなっています。しかし、かつてそこは、埋め立てを前提に半ば公然とゴミが投げ捨てられ、ヘドロと悪臭にまみれた、習志野市の恥部とまで言われた場所だったのです。

 近頃、某テレビ番組の企画で、数名の若者が、各地に不法投棄されたゴミを片付けながら、日本全国を旅するというものがありましたが、まさに今から二十数年前、たった一人で、 一周3.5kmにも及ぶ長方形の護岸の前にうずたかく積み上げられたゴミに立ち向かう決意をした青年がいました。ふるさとの海―“ふかんど”を残したい、ただその一心で 。

 森田三郎 29歳の冬。新聞配達の合間をぬって、市川市からバイクでゴミ拾いに通い始めた青年に、好意的な目を向ける人はほとんどいませんでした。悪臭に悩まされ、早期埋め立てを望んでいた地元住民の中には、彼をよそ者呼ばわりし、目の前でゴミを捨てて行く者までいます。そして行政には干潟のゴミの引き取りを拒否される。そんな状況のなか、たった一人で谷津干潟愛護研究会を設立し、雨の日も雪の日もゴミ拾いを続け、数年が過ぎようとしていた頃でした。彼の情熱に心をうごかされた地元の主婦が、ついに三郎にゴミ拾いの手伝いを申し出ました。

 それから徐々に支援者の輪が広がり始め、多くの市民が参加しての谷津干潟クリ−ン作戦の開催、主婦を中心とした谷津干潟環境美化委員会の設立、森田三郎の支援者・ゴミ拾いの仲間達による谷津干潟友の会のPR活動などをとおして干潟保存の気運が高まり、ついに市による埋め立ての方針が撤回されるに至ったのです。

 その後、習志野市議会議員を経て千葉県議会議員となった現在でも、森田三郎と仲間達によるゴミ拾いは続いています……。


(田澤浩一)

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