主治医


施行されてからすっかりお馴染みになった介護保険制度。介護認定に必要な意見書は医者が書くことになっているのだが,よく見ると「主治医」が書くことになっている。

外来で主治医という言葉に,結構「?」と思った医者は多いんだと思う。

外来で診ている医師は通常,「外来担当医」と呼ばれている。開業の先生もきっとそうだと思うのだが,自分はこの患者の「主治医ではなくて,かかりつけ医である」と思っている医師が殆どだろう。

主治医という言葉には,その患者の全責任を負うという意味合いが強い感じがして,ちょっと戸惑うのだと思う(少なくとも自分はそうだ!)。このホームページのどこかにも書かれているが,全部を診ることはとっても大変なのだ。責任回避と思われるかも知れないが,診れないのに責任を持つ振りをすることの方が許せないと僕は思う。


主治医という言葉だが,通常では外来診療においては用いず,入院患者の担当医を指すことが多い。

例えば,大学付属病院(以下大学病院)は研究機関と教育機関でもあり,臨床研修の場でもある。したがって,入院中の主治医は, 大学病院では,外来で診てもらっていた医師と異なる場合が殆どなのだ。


ちょっと混乱を招く気がするので整理すると,「大学病院では,外来診療は外来担当医が行い,入院診療は主治医と,外来担当医あるいは他の医師が行う」というシステムになっている。一般の人からみると,「主治医とはとっても頼りない,医者の卵のことなのか?」と思われるかも知れない。

そこで,主治医という言葉の意味を広辞苑(巻末を見ても無断転用・転載禁ずとは書いていないので,引用させて頂く)で調べてみた。「しゅ-じ【主治】主となって治療を担当すること。!い【主治医】主としてその患者の病気治療に当たる医師。かかりつけの医師。」とある。なんか字の如くで,当り前過ぎてがっかりしてしまうが,この意味からすると,主治医は頼りない医者であってはいけないのだが, 実際は臨床経験の少ない研修医が主治医となっているのである。


このような主治医という言葉に不満を抱く患者が多いのは,この言葉の解釈の違いから来るものなのだろうか?

最初に書いたように,大学病院は教育機関でもあるということを考えてもらわなくてはならない。文句を言われてもしょうがない。事実の通り説明して,「このようなシステムになっています」と納得してもらうしかない。患者が文句を言うのもわからなくはない。そこで,入院の連絡をする時に,主治医という言葉に過敏(何と表現していいのか難しいのでとりあえず)な患者には,「入院主治医」という勝手な造語で説明している。外来担当医がいなくなるわけではないのだから…。

では,大学病院において,研修医が主治医を担当することは大きな問題を引き起こしているのだろうか?

入院前に不満を言う患者はいることはいるのだが,入院中あるいは退院後に不満を言う患者は全くいないわけではないが,殆どいないのが現実である。だた,ある一定期間でローテーション(担当の部門が変わったり,転勤など)して主治医が変更になることに対しての不満は時々聞かれる。このことはむしろ,その主治医が患者から嫌がられていなかったのだと,逆に僕はうれしく思ったりする。これも教育期間としての現実から,避けられないことなのだ。むしろ,入院患者と外来担当医間の太いパイプの役目として,重要な仕事を受けもっていると僕らは感じている。例えば,入院患者が,外来担当医にすら聞けなかった事を相談したり,精神的支えを看護婦(士)さんと一緒になって行っていることは,むしろ経験の少ない研修医だからこそ,患者サイドに立っての結果なのかも知れない。一生懸命だから許してもらうという訳ではない。一生懸命だからこそ薄っぺらではないコミニュケーションが出来るかもしれないというだけである。この点に関しては,研修医自身の努力に期待したい。


厚生省は,実質的インターン制度の復活とも言える,初期研修ローテーションをすすめている。広く一般的知識を身につけ,general doctoer(一般臨床医あるいはかかりつけ医?)養成のためらしいが,そんな短い期間で経験が第一の臨床能力を身につけることが可能なのだろうか?しかも,国家試験問題こそ日常遭遇する医療現場の知識を問うべきなのに,日常的診療では稀な病気や外科的治療の問題ばかりなのはどうゆうこと?と言いたい。


北海道はとても広い医療圏と,都市間の距離が遠いことが特徴である。小さな町にたった一人で,その地域の人々の健康を支えている先輩医師達が沢山いる。例えば僕が直接知っている中頓別町立病院には,とっても長い間,周辺地域医療を殆ど一人で診てきた院長先生がいる。なぜこの町に来たのか?どうしてずうっといるのか僕にはわからない。ただ,この病院では,医者ばかりではなく看護婦さんも病院の職員も,一人の患者の生活背景まで知っていて,診療に多いに役立っていることは事実である。そして町の人達みんながこの病院を大切にしている。誰がなんと言おうと僕は,この先生こそ本当のこの町の主治医だと思う。

主治医という言葉は,医師免許を持つわれわれにとってあまりにも重い言葉である。例え1年目であろうと,10年目であろうと…。