知識量とはどれくらいの重さ?

本日日本では(この日本語漢字で書くと変ですね),医師国家試験が行われている。

医師になるための知識は年々増え続け,一人の人間が記憶することは不可能に近いものを要求されていると言われている。

先日,歯科医の国家試験漏洩の疑いの記事が新聞に載っていたが,「こんなもので医師になる資格を修得できる日本のシステム自体に問題がある」という論議がほどんとなされていないことの方が,僕にとっては大事だと思う。(アメリカ人の医師達に,「整形外科医になるのは,国家試験に受かって医師免許を修得すればなれる」と言ったら,ものすごく驚かれた。アメリカでは整形外科医にはなかなかなれないのだ!)

ところで,本を沢山購入することをあたかも趣味としている人達がいる。かくいう自分もその一人と噂されている。若い頃,研修病院にはほとんど有用な本が置かれていなくて(病院って貧乏なのよ…っていったら怒られるかな?),自分でせっせと購入していたら,僕の机の上はさながら図書館のようになってしまった。よく「勉強に必要な本なら高くても買いなさい」といわれるが,購入した本を完全に読破した人間を僕は知らない。これもよくいわれることだが,「本を沢山持っている人は,本をそろえないと安心しないのであって,購入した本は枕にすぎない 」というのも本当だと思う。

僕が大学での研修後,大学以外の病院へ研修に行く時,当時整形外科教授の竹光名誉教授に,いくつかの約束事をさせらた思い出がある。(教授自ら,一研修医にはなむけの言葉をくれるような医局なのです。今でもこの伝統は変わっていません。)その一つに,「自分のお金で英語の雑誌を購入しなさい。そして必ず外国の文献を一日一遍でもいいから読みなさい。」というのがあった。そしてこの二つの雑誌を購入するようにと紹介までしてくれた。貧乏に耐えかねた最近まで僕はこの教えを守り,(ただし読破していたのは随分と前だけど…)かなり高額な雑誌を購入し続けた。おかげで僕の家の床は,本で歪むんじゃあないかと思われるほどの量となってしまった。(誰だ?エッチな本だろうなんていう奴は!)

当然,医局の自分の机の上にも沢山の本があって,本棚がいつ倒れてもおかしくないといった状況である。(ちなみに大学の医局では,だれもが同じ状態です。)しかも机は本の重みで少し傾いているかなあ?といった状態だった。

先日,出張から帰って来て机の前にすわると,なんか居心地がわるい。自分の背丈が縮んだような気がしてならない。どうも落ち着かないので,コーヒーでも飲もうと,持っていたペンを机に置くと,ペンはコロコロと転がりはじめた。「えっ?もしかして!」僕の机の反対側には,医師国家試験受験雑誌では有名な,桑高先生(ペンネーム)の机があり,彼の本棚は僕の本棚に押されて,地平線に対して約75度傾いていた。(まわりくどい表現ですが,つまり約15度ばかり前傾していたのです。)どうやら僕の机が傾いているらしいと判断し(僕は乱視なのでよくわからない?),自分の机の下にもぐってみると,なんと机の脚が折れているではありませんか!金属疲労で折れたというより,グシャッと潰れたと言ったほうが適切です。

医局のみんなに聞くと,「そういえば,夜中にギシギシと変な音がしていた」とか「以前から先生の机傾いていましたよね」とか…。オイオイみんな気付いていたのなら教えてくれよ!といいかけて,そんなことに気付かなかった自分自身を反省しました。

ちなみに,医局の机が倒れたのは数年に一度の割合で発生しているようです。

「実際のところ,大学の机が耐え切れなかったのは,知識の重さなのか?それとも…」

最近,本当に必要なのは新しい知識なのか?と悩みはじめています。だって,そんなにポンポン医者がやることが変わるわけないでしょうに!

ふと,古い先生達が(こんな表現でごめんなさい),まだ高価な外国語の本を買えなかった時代,今のようにコピー機なんてしろものも無く,一冊の本をみんなで訳して写本して勉強し合った,それが抄読会と呼ばれる勉強会のはじまりという話しを思い出した。

果たして,そんな時代と知識の量は変化しているのだろうか?確かに質は多少なりとも変わったかもしれないけれど…。