はじめに

うちの医局では,医師国家試験に不合格であった入局予定者に,医局内に勉強机を用意して,翌年には必ず合格してもらうように,指導(何の指導でしょうか?)助言を与えることにしています。さすが,リハビリが大事な整形外科ならではです。

今年の医師国家試験の合格率は,過去にない程厳しい結果になりました。これは,受験者のレベルが低くなったわけではなく,言葉は悪いですが,厚生省は落とそうとしたんではないか?と僕は思っています。

合格発表の前日に,一年間医局で浪人生活を過ごした一人の受験生に,一年間を振り帰って一筆書いてもらいました。

文章はまるで小学生の作文のようですし,内容も部外者には理解し難いものです。(これで27歳っていうんだから笑っちゃいますね!)けれども,彼ががんばった一年間を彼自身の言葉でせっかく表現してくれたので,原文のまま掲載します。彼曰く,「沢山の事が思い出されて,これでも書き足りないくらいなんです!」もし,この文章が,これからの受験生の励みになれば…と思います。(なんてったって,発表前日の文章ですからね!)但し,本人に迷惑がかからないように,匿名とさせていただきます。多分関係者でも意味不明のところがあると思うけど…。


医局での浪人日記

 この浪人日記を書き終える頃には,第94回医師国家試験の合格発表がわかる,丁度24時間前くらいでしょうか?例えとしては,不適切かも知れませんが,自分が胸部XーPで,「何か怪しい陰影(かげ)がある。」と言われ,biopsyをした結果,良性か悪性かを医者に宣告される時のような,異常なまでの不安感にとりつかれています。

 むしろ,2度目の発表を前にしても,昨年に比べるとはるかに今回の方が,不安(+緊張)は強いです。ま,それがどうしてか?(あまり他の人にとっては興味のないことかも知れませんが…)は,おいおいわかると思います。

 丁度,1年前の明日,僕は厚生省の高く分厚い壁に阻まれ,「悪性」と宣告を受けたのですが,第93回の国試のD問題を終わった時点で,その宣告を受ける覚悟がすでに出来ていて,「これから,どうしたらいいんだろう。」と,途方に暮れていた事を今でもハッキリ覚えています。発表前は,あまり暗い自分を表に出さないようにしていましたが, 発表の日はずっと家にこもりっきりで,今後1年の計画をと思っても,切り換えもできず,発表前から結果を危惧してくれていた,能地先生に「連絡しよう。でも何て言ったら良いかな?」,「せめて同期のM君(現Dr.)や野球部の仲間ぐらい電話しようかな?」と板ばさみにあいながら,結局コールできずじまいでした。そんな中,その同期のM君から携帯電話に何度か着信が入ったのに,拒否までしてしまうこの意気地なしっぷり。その後,自分からM君にある意味勇気を出してかけた電話が,今となっては,この一年間を大きく決めた電話だったと思います。

 M君に電話をしたところ,医局に報告ぐらいしておいたら。と言われ,何て言えば良いのと思いながら,直に医局に行くのは気がひけたので,公衆電話(その時は,家から逃げるように何処行くとも無くフラッとルミネ東光に入っていた。)から当時の医局長の熱田Dr.に不合格の旨を,何かビクビクしながら(きっと,「アッそう」みたいな素っ気ない対応を受けると予想していたからです。)ごめんなさい,熱田Dr.)伝えたところ,こんな若輩者に「整形外科の方で,何かできることがあればバックアップするし,医局にも机を用意するから。これから気楽に頑張って。」と思いもよらぬ温かい言葉をかけてもらい,これには,何かしら,声がつまっていました。この熱田Dr.の一言で。これからの1年間をどうするかという心配は,一蹴されました。(ただ,予備校を提案した親は,しばらく心配していましたが…。)更には,発表の夜,励ましに食事に誘ってくれたM君といると,合格祝いの飲みに,メインのM君と共に呼んで頂き。松野教授や高桑Dr.達に温かく迎えてもらいました。(その時御一緒させてもらった近藤Dr.は,ある意味威圧感があって松尾さんより話しをできなかったス。)

 以上が,整形の医局で居候浪人をするに至った経緯ですが,かなり長ったらしくダラダラの文章で,自分自身の国語力不足で,うまく表現できないもどかしさがたまりません。どうぞ,御容赦下さい。

 以後。約11ケ月(途中,現実逃避気味に,医局に行かずに,消息不明になった空白の時期もあったり,気分転換に市立図書館で勉強したりもあったけど…。)は,第2の我が屋のように医局に出入りしていました。

 その間,浪人という身分にふさわしくない恵まれたことや楽しい思いもしました。大学生活6年間より,はるかに舌も肥えたと思いますし,ボティも肥えたのも事実です。しかし,この11ケ月間を1人きりで浪人生活(経済面の親への負担から予備校は選択したくなかったので)していたら,きっと,いつか発狂気味になっていたとも思うし,色々な不安や焦りがつきまとったりして自分をコントロールするのが困難だったと現在は,強く感じます。他の人がどうかは,解りませんが,僕自身一番恐怖なのは,孤独感でした。ま。試験勉強は,自分一人との戦いと言うのも聞きますが,人と接する(僕の場合,整形の諸先生や秘書さん,そして何よりも同じ境遇のS君はじめの浪人仲間),人と話したりすることができたのは,この浪人中,大きな支えでした。本当に。こんなザコキャラの相手してもらい,面倒を見て下さった方々に感謝しています。

 浪人の間のこと,色々あったス。本当に。自然消滅したけど,術前カンファレンスにも参加したし,三木会という定期講演も聴講したし,薬説も出た。そのおかげで,国試のC問題が解けたッす。(直前にも,島崎Dr.や丹代先生に,つかの質問にも答えてもらって助かったし。)6年生対象の焼き肉パーティーをはじめとするもろもろの飲みにも誘ってもらいました。(そのせいか,野球部の後輩にジェルマンの日本人離れ顔のマスター経由で,××さん(本人の名前),勉強していない情報も出回ったし,焼き肉パーティーで,うかれてコスプレしたら,後藤Dr.にお目玉を頂いちゃったり,忘年会の国試前ラスト麻雀をT広Dr.,N地Dr.,N村Dr.達としたり,医局野球打ち上げや原田先生に,自腹ではとても,ありつけないウナギも御地になったり,教授邸のガーデンパーティーにも出席させてもらい,吉原宏太モデルのシャツをゲットしたり…。こう,書いている内に,沢山あります。)能地Dr.が浪人生出場許可を認めてもらうようにしてくれた医局野球でも決勝戦での盛り上がりを見せてもらいました。(高桑Dr.小野沢Dr.負傷後,面倒かけたッス。ありがとうございます。)能地Dr.,来年も宜しくお願いします。島崎先生の計らいで,北見日赤Hp,の方へ,1泊2日のOpe.見学(夜の観光?ホテル付)もさせてもらいました。島崎Dr.,今後,カウ・ベルのステーキは嘔吐しません。たびたび,高桑Dr.,能地Dr.をはじめ先生方に,物欲しそうな目をしていたのか,いっぱい御地になりました。アー,能地Dr. には,本当に気にかけてもらい,現実逃避した時も,一番心配をかけていたり,悩み相談にのってもらったり,色恋御法度を制定してもらったり,常にいい意味でのプレッシャーをかけて下さいました。そのプレッシャーは,近藤Dr.,丹代Dr.,島崎Dr., ウーン本当に,諸先生方には,浪人生にムチを打って下さいました。以上,まだ(紙面じゃかけなあいような)書きたいことがいっぱいあるんですが,この11ケ月間,僕は,整形外科の医局に(しまいには,M尾さんと泊り込む始末…),そして先生方に寄生もしくは,依存症でした。そういった点から,ちょっとした頼み事をされると,先生方のお役に立てるというアッシーのような嬉しい気持ちになりましたが,あまり使えずですみませんでした。

 それ以外でも,いつか自分の働く場所となる(なって欲しい!)整形医局で先生達の仕事っぷりや,熱意(嘘っぽいといわれそう)を感じながら,勉強をできたことは,少しでもいいから,早く整形の医局の一員になりたいな。来年こそ,受かってやる!!という,秘めたるエネルギーになって,勉強のやる気をかりたててくれたこと,これも又,この浪人生活での大きな支え,励みになったのは事実です。だから,今年の発表は,昨年より,受かって欲しい。という思い,不安があります。

 以上,つらつらと書いてきましたが,医師国家試験は10人いれば,9人が大体受かるというものですが,逆にもう一度苦しい,辛い闘いに挑むことになる境遇のひとも,合格者の影に隠れるようにいる訳で,そういった人達,全員が自分と同じような気持ち,体験をしていると思いませんが,ある種,合格者の人達には,絶対解らない体験談としていち浪人生の立場でかかせてもらいました。色々,この期間をどう過ごすか迷いましたが,医局の浪人部屋でやってきて良かったと思います。(そう思うようにしているわけではないッす。)色々と,これからプラスになる一年になっったと思うし,これからこの一年を生かすも殺すも自分次第っすね。

 最後に,同じ整形入局予定ながら,同じ境遇になったS君,君が居なかったら辛かったと思うし,国試のための情報があまり入らなかったと思うし,S君がやっている時は,こっちもいい刺激をうけて頑張れたんだよ。本当にサンキュ!!ただ,人付き合いが悪くないのに悪いように見られているので,もうちょっと愛想よくした方が良いと思うよ。ただ,しすぎるとM君や僕のように,”八方美人”,”お調子者”といわれるけど…。これからも麻雀以外でよろしくね。