NetBSD事始め

我が家の家庭内LAN
たっくう家の事情(爆)

1996年
我が家にLANを張ろうというプロジェクトが発足した。
 隊長:たっくう 隊員1号:ぱからん君
なんのことはない。結婚したことにより我が家に複数のマックと
プリンターが存在する事となりデーター共有の概念が発生したためである。
この時、まだネットワークがなんぞやということは全く理解出来なかったが
マックには標準でアップルトークという機能があり、フォンネットという
アダプターを使えばプリンターポートを使ってネットワークが
構築出来るという事がユーザーズガイド(J030-4876-A)にのっていたために
単純につないでみたらのノリで繋ぎ始めたのが始まりだった。
(その後フォンネットコネクターがあまりました。詳しくは続きを...爆)

右図の通りCLASICは漢字TALKのバージョンが6.0.7だったため
独立する事となってしまった。
現在はシリアルポートからMIDI機器を接続してデーターはFDで渡している。
  少し悲しい....
くらしっく君(DTM仕様)-->
1998年春
ISDNがやってきた。
たっくぅ隊長がぼそっといった何故2回線も使えるのに
データーポートは1ポートなのだ......(INSメイトV-1SII by NTT)
(データーポートは64Kbit/Sでつながるのにアナログポート
経由だとモデムなので28.8Kbit/Sもしくは14.4Kbit/Sでしかつながら
なかったのである。)
当時我が家には28.8Kと14.4Kのモデムしかなかった。
しかも、通信で知り合った夫婦...同時にチャットしたいという夢は
かなったのであるが、隊長は遅いモデムの反応にいらいらしていた。
隊員にデーターポートをゆずった為である。
ルーターがほしいっ...  そうさけんだのは隊長であった。
当時ダイアルアップルーターはパソコン1台分の値段がしたのであった。

1998年夏
いよいよマックの世界ではパワーPC全盛時代となり
隊員がPM9500/200ほしいといいだしたり520Cの603カードが
格安で手に入ったりしたため(時すでにG3時代)LC575のみが
パワーPC化に乗り遅れてしまったのである。
そうだ、ふりーゆにっくすだ!!
仕事でWin/NTを使う隊長はサーバーがルーテイングする機能
を持つことを知ってしまう。(ルーターの機能)
ここからNetBSDを導入しようとがんばり始めたのである。
折しもLINUXが脚光をあびはじめたころであった。
このころクロスケーブルを使ってイーサネット接続を開始。
フォンネット接続廃止(爆)
9500君(DTP仕様)-->
520c君(POWER-PCに換装)-->
1998年秋
LINUXにならんでNetBSDが記事になりだす....
隊長はついにLC575を68LC040から68040にCPUを換装してしまう。
また、APPLEコンパチのネットワークカードを差してしまう。
しかし、気づいてしまった。いまやダイアルアップルーターは
実売10万円を切っているが....この際、勉強をかねてUNIXに
ひた走るのだった。
テストでNetBSD1.2を初めてインストールしたのはこの時だった。
しかし、ネットワークカードを認識しなかったりカーネルがモノクロ対応
だったりでがっかりしたのもこのころ....

575ちゃん(68040に換装)-->
1998年春
NetBSDが1.4になりLC575も正式対応機種に成るらしかったが
NetBSDは1.3.2のままにしSLOTMANカーネルを導入する事で
カラーXがうごいた....びっくりした....
さらにダイアルアップルーターは実売4万円を切っている... かなしい(TT)
1998年初夏
ついにNetBSD1.3.3+SLOTMANカーネルでネットワークが認識
できるようになった。
inet+ipnatでルーター化する事に成功し試験運用を始めた。
日本語サーバーやkinput2、fetchmail等も導入しとりあえず
実用をめざすための本格試験にはいった。 (*^^*)
1999年秋
突如ネットワークカードが不調に....
カード自体の不調らしく換装(USEDの純正品)したら復活したのだが
はてさてどうしたものか....



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初版:1996.2.23    1999.09.12 Update

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