Workshop for Flying Dancers
彷徨える日本舞踊者のための囃子講座
娘道成寺の巻
その3<急の舞>
「急の舞」というのは長唄の「紀州道成寺」では標準で入っているのですが「娘道成寺」では「次第」や「乱拍子」と違って一応オプション扱いなのです。ですから最初の合わせの時にお囃子さんと長唄さんに「急の舞、あります」とお断りなさってください。
舞の手順は日本舞踊の地ではほとんどの場合、ミハカライといって立方がどのポジションにいったら笛の「ヒシギ」と共に大小鼓が「ツッタァ、ツッタァ、ツッタァ…」という「地頭(ジガシラ)」を打つ(後で説明しますが、本行では「ヒシギ」の後に「地頭」を打ちます)とか、そのあと振りがこういう形になったらフィニッシュにはいりますくらいのことをワリと大ざっぱに決めるだけです。
本行では流派や演出によって変りますが寸法を決めて演奏し、シテ方が演奏に合わせて舞うのだそうです。長唄の「紀州道成寺」などを素の演奏会で演奏する時の「急の舞」などもやはりサイズを決めて演奏しています。
ここは寸法をキッチリと囃子方に注文してみたいものですね。たとえば
「観世流の最短コースでお願いします」
なんてやってみると、囃子方がパニックになるのを見ることができます。
「急の舞は三段でお願いします。初段は一巡、二段はヒシギの後は二巡で、三段は一巡でお願いします。本行(ほんぎょう)どおりにカン(干または甲とも書きます)でシカケて段をとって最後は打ち上げてください」これで完璧です。囃子方のあなたに対する態度は間違いなく変ります。
「急の舞」は読んで字のごとく、急なんですね。速度が速いんです。すっごく速いんです。お囃子さんの中には腕自慢で笛がついていけないくらい早く演奏するのを生き甲斐にしている方もいます(実話です)。 あまりに速いので大小鼓が何を打っているのかほとんど判別できませんので、能管という笛のメロディーを聴き取ってください。
クリック → 一噌流「急の舞」能管唱歌
一噌流「急の舞」能管唱歌はお能の「道成寺」の「急の舞」の笛の唱歌を並べてみたものです。実際は演出によって寸法を変えたりするんだそうですが、一応教わった通りに並べてあります。いろいろご意見もあるかとは思いますが、とりあえずこれが標準として考えてみてください。
もちろん、この通りにやる必要はありませんよ。あくまで参考です。実際、日舞では「カカリ」をやって「ニ段」に入ってしまうような形になっていることが多いです。
舞地といわれる能管のメロディーには「中干中呂(ちゅうかんちゅうりょ)」という基本的な進行パターンがあります。つまり「中」「干」「中(干の中)」「呂」という4種類のフレーズが繰り返します。これを「一巡(いちじゅん)」と考えてください。「カカリ」の冒頭や「段」を吹いた後「中」「呂」ときてからこのパターンが始まるので最初はちょっとわかりづらいです。
まずこの「一巡」の唱歌を覚えてしまいましょう。
中 | オヒャイヒューイヒョウイウリー |
干 | オヒャーラーァイ、ヒウイヤーァ |
|
ヒウールーゥイヒョーイウリー |
呂 | オヒャーラーァイホウホウヒーィ |
この「中干中呂」は長唄の「君が代松竹梅」の「カッコ」のあとの舞地や義大夫の「猩々」に出てくる素の「中の舞」でも応用できますから、覚えておいて損はありませんよ。
ここでちょっと面白いのは「中」という概念です。ようするに「干」と「呂」のあいだだから「中」ということなのでしょうか。
表をご覧いただくと、この「中」には、いわゆる「中」と「干の中」の二種類があって同じではないんです。ただの「中」の方を「呂の中」と読み替えていただいて、「呂」から「干」へ行く途中の「中」が「呂の中」、「干」から「呂」へ行く時の「中」が「干の中」と考えることができます。
私たち囃子方は笛の唱歌も「ツハッハイヤアン、ツホッホトッタン」というトッタン拍子で八拍を一クサリとしてカウントしていますが、皆さんは「イチ、ニィ、サン、シ、ゴォ、ロク、シチ、ハチ」でも「イットォ、ニィトォ、サントォ、シィトォ」かまいません。勘定のしやすい方法を選んでいただいて結構です。笛のメロディーを聴きながらトッタン拍子の「トッタン」という場所、すなわち第7、第8拍目を見つけることができればよいのです。
さて「急の舞」はその名の通り速度も非常に速いので、このように細かく勘定なんかしてはいられません。ではどうするのかというと、笛の唱歌の中で特に特徴的なフレーズを選んで、そこを基準点にしてサイズを測ればよいのです。
能管の唱歌でまず一番目立つのは「ニ段」の4クサリ目に「ヒィーーーーーーーー」と特に甲高い連続音を演奏する「ヒシギ」でしょう。これは「急の舞」の中でもっとも強力なアクセントとなっています。
ヒシギ | ヒィーーーーーーーーーーーーーー |
この次の小節(八拍進行でです)が大小鼓の「ツッタァ、ツッタァ、ツッタァ」という「地頭(じがしら)」という名のついた手になります。日本舞踊では中央奥から下手前方へ移動しながら扇を大きく行ったり来たりさせるフリがついていることが多いところです。
よくこの「ヒシギ」と「地頭」が同時だと思われているのですが、これは本行ではありえません。現在、日舞では「ヒシギ」と「地頭」を同時に、というリクエストがほとんどで、囃子方もそのように演奏するつもりでいることが多いです。いつからそうなったのかは、わかりません。
私たちはよく「段をとる」といいます。段は「初段」「ニ段」「三段」の冒頭に出現します。特に「三段」の「段」は直後に「三段の手」というものまでついて、まるで「急の舞」がクライマックスに達したことを宣言するかのようです。
段 | オーヒャーオヒヤリ、ヒウイヤラリイ |
この「段」という概念は私の知識では説明しづらいんですが、マニュアルギアの自動車のギアチェンジみたいな感じ(運転なさらない人にはゴメンナサイ)とでも申しましょうか。
「段をとる」たびに舞台上のパフォーマンスは次の新しいステージに入ります。舞台の上も客席も緊張感が高まり、雰囲気も高揚してゆくのが常です。
よく聴いていると、段になる直前にホンの少しだけテンポが重たくなり、また高速で立ち上がっていくのがわかるでしょう。あれは自動車のギアチェンジをするときに一瞬アクセルを緩めるようなイメージです。だからといって、我々は自動車のローギアのことを「初段」なんていいませんけど。
ふたたび表を見てください。「初段」「ニ段」「三段」の「段」の直前は必ず「呂」になっていますね。そして「ヒシギ」の直前と「アゲ」の直前も同じく「呂」になっています。表を見ながら整理してみましょう。
- 「カカリ」が始まってから「初段」までは「呂」が2回
- 「初段」が始まってから「二段」までは「呂」が2回
- 「二段」が始まってから「ヒシギ」までは「呂」が1回
- 「ヒシギ」の後、「三段」までは「呂」が2回
- 「三段」が始まってから「アゲ」までは「呂」が3回
もうすこししつこく整理してみましょう。この考え方を「呂」よりも聴き取りやすい「干」を中心にしてみるのです。
- 「カカリ」が始まってから「初段」までは「干」が1回
- 「初段」が始まってから「二段」までは「干」が1回
- 「二段」が始まってから「ヒシギ」までは「干」が0回
- 「ヒシギ」の後、「三段」までは「干」が2回
- 「三段」が始まってから「アゲ」までは「干」が2回
「干」の位置がわかればそこから積算して次の「呂」までの時間的な距離は自動的にわかりますので、そこからさらに「段」や「ヒシギ」そして「アゲ」までの寸法が計算できるということです。
ここまで理解できたあなたは、きっと囃子方に注文を出して恐れさせ、自由に「急の舞」を舞ってみせることができることでしょう。楽しみですが、私に当たらないことを祈ります。
この文章の文責は私、望月太喜之丞です。もし何かご意見やご指摘がございましたら、私宛にお知らせください。