平成十六年 睦月 九日/ 9, JAN, 2004

Subject: Pluie sur Paris

C : 今日は雨でした。 上の写真はフランス風へのへのもへじ(0+0=la tête à Toto)、友達の子供に教えようとしたのですけれど(へのへのもへじの方)興味ゼロで、ふられました(全く、私はどういう写真を送っているのでしょうかと、時々自分で思う事もあります、注文写真(ダンスとか)に比べると何も考えなくってもいいので撮ってる本人は楽しいのですが、貰った側の事も考えずに送ってます。始まりは緑の手袋で、病み付きになりました)。

T : ウチなんかモンマルトルまで飛行機に乗って13時間ですよ。

C : そんな事言ったら、フランスの何処に住んでいてもモンマルトルに近いではないですか。

子供の頃なんか日本からモンマルトルの丘まで19または21時間で、私の親の時代、船で3ヶ月、往復半年でした。

なぜか父は戦後初めての文部省のフランス人の留学生で日本に56年、船で横浜についたそうです。半年後に母も日本に行く事になって、当時では外国人の留学生、しかも夫婦で、というのは珍しくって日本の新聞にまで乗りました(親の若い頃の着物姿の写真も残っています)

父が地方に行った時の話ですが、”外国人が来た”と困ったその町の人達は父をお城に泊まらせた(何処の町かと訊いても、本人は覚えていないみたいです)部屋に一人になった父は足音が聞こえ、障子をあけたが、誰もいない、また足音がして、こんどは素早く障子を開けてみたらしいのですが、人の気配すらしない、ご想像のとおりで、まだ遠くにいる人の足音がきこえるような仕掛けの床でした、その晩あんまりよく眠れなかったらしいのです。

栄養失調で脚気にもなったそうで、その当時の話をきくと結構面白いのです。


T :「ウチの愚妻が…」とか「愚息が…」

C : ちょっと可愛そうなんじゃないですかとフランス人の私の反応ですが、たしかに非常に日本的な言い回しで、”つまらない物ですがどうぞうお召し上がりください”みたいな、とくに意味がないとわかっているのですが、それでもどうして日本の男性はいつも奥さんの悪口をいうのかと、”最愛の妻”とまでいかなくってもいいのですが、”妻です”というふうにに紹介すればいいのに、と思う事があります。でも愚妻と愚息、ちょっと古い言い方のような気がしますが、今でも伝統芸能の世界以外でも使うのですか?


T :「こっちの人」というのは、おそらくパリに住む日本人が日本からやってきた日本人に(ああ、ややこしい…)言う時の言い方でしょう? それには「パリに住む日本人」の「日本からやってきた日本人」に対して「私はあなたよりフランス(人、もしくは文化)に近い」ということを暗に示す言葉でではないでしょうか。ある意味、優越感の裏返しの言葉遣いなのではないかと思います。

C : 難解な文でしたが全然違います。日本からやって来た日本の人とパリに住んでいる日本人がフランス人に対して(私に)言う事で、例あげると ”こういう事、平気なんですよねこっちの人は.....” 悪い意味で言われます。

随分前のメールになりますが大体こんな事を書いた記憶があります <外国に出たると違う歴史の上に出来た社会にぶつかるわけで、習慣も社会構造も違って当たり前、良い悪いの問題では無く、その違いを尊重するべきです>

かと言ってTGVが一時間おくれた時に、文句を言うお客様に”違いを尊重しましょう”、......言いえないのですよね、


昨日歩いてる時、通ったお店の前ですごい行列、なんだろうと思ったらバーゲンの初日でした(バーゲンの期間は法律で決まってます)あとでテレビで(インタネットで見れるのですよね今は、その誘惑にまけました、本当はテレビが好きなので見始めると止まらないのです)デーパトが特別にバーゲンのため朝8:00に開店したと、零時にオーペンしたお店もあって、警備さんが並んで待っているお客さんを押さえきれず、女の子が急にワアっとお店に入り、安くなっている服に飛びつくその姿は.......


T : 女性は仕事よりも、いかにして安く「ルイ・ヴィトン」を手に入れるかに情熱を傾けているように見えます。

C : 時々私もそう思う事があります。場合によって結婚して、家庭を作るのも、それだけの責任感もないのではなかなと、これは日本の女性を批判しているのではなく、ヨロッパでも、いつまでも大人にならない大人、と問題になって、大人の社会と言われているフランスでさえ段々と子供社会になっている傾向があります。

いつまでも書けそうなので、ここまでにして、次回は短くするように努力をします。

Bonne journeé

Camille