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望月太喜之丞 Website/タキノ庵 <暮らしのツケ帳> 00.09.06更新


未知との遭遇



 私は長唄の囃子方としてデビューしてから20年以上経ちますが、先日、能の囃子方として初めて舞台に乗りました。といっても、能とバレエの供宴という創作の会での偶然で、行きがかり上、本行の皆さんとチョコッとだけご一緒させていただいただけのことなのですが、私にとっては本当にまたとない、いい経験でした。

 同じ楽屋で彼らの会話を聞いていると私の知っている専門用語と知らない専門用語が同時に飛び交っていて、ドイツ語の会話の中に英語に発音が似てる単語を聞き取るような気持ちです。


 楽屋でのマナーも考えさせられました。長唄の囃子方の楽屋だとあっちこっちで好き勝手に音を出して楽器の調子を調べちゃうんですけど、本行の皆さんは楽屋でほとんど音を出さないんです。

 たとえば小鼓の方が「よろしいですか」ってお断りになると「どうぞ」ってやおら笛の方が「お調べ」を吹き始めるんですね。それから打楽器類が音を出すんです。私、結構恥ずかしかったです。長唄の囃子方も本当はそうなんだぞ!って怒られそうですけど、でも実際は音、出してますもの。私だけだったりして。


 演奏上では、リズムに対する考え方も長唄の囃子方とはだいぶん違うのだと思います。長唄の囃子方はたいがい三味線に乗っかって演奏することが多くていかにもパーカッションだなって思うんですけど、能の囃子方はなんというか、リズムでもって謡(うたい)も舞(まい)も、とにかく舞台にあるものをみんな引っ張っていくようで、非常にドラムス的なのです。

 以前一度だけ、大鼓方の大蔵正之助さんとセッションをさせてもらったときに、せっかくだからということで「波頭(なみがしら)」というものを演奏したことがありますが、その時もリズムに対する考え方の違いにびっくりした記憶があります。

 また、音や間に対するこだわりも凄いんですね。皆さんそれぞれ、ご自分の音に対して理論的な裏付けがはっきりあって、それが揺るぎない主張となって演奏されるんです。私、そんなにこだわってないなー。


 とにかく、六百年という伝統の重みにちょっと触れてみたような気がする晩でした。 00.09.06