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望月太喜之丞 Website/ タキノ庵 <暮らしのツケ帳>  00.09.16更新


小鼓の胴


小鼓胴  自分の楽器をじっと見てみることがあります。

 私の場合、所持している楽器のうち小鼓や大鼓などは骨董品的に古いものが多く、いままでに何人の演奏家の手を経てここに来たんだろうなどと思います。なんか昔のヨーロッパの映画にそんなのがありましたっけ。あれは確か楽器ではなくてタキシードだったかな?

 この20数年のあいだにも(私の業界では短いほうです)この楽器達とともに様々なドラマがありました。ということは、かれらは何百年ものあいだにどれだけのドラマを目撃してきたことでしょう。うちにある楽器の中でもっとも古いものは500年近くも昔に作られたものなんです。ちょうど、ヨーロッパではストラディバリなんてバイオリンが製作されていた時代に近いんです。

皮口  よく、「古いものほど良い」なんて事を言います。それは決して素材が枯れて熟成されたからではなく(多少はあるかも知れませんが)、現代の職人さんの腕が悪いからではありません。

 これは自然淘汰によることが大なのです。ほら、使ってみて良い楽器は大事にするけどだめなものは粗末にしちゃったりするでしょ?そんなことが100年、200年と続くうちに、古いものは良いものしか、その姿を保つことができなくなってしまうのです。1本の名胴の影には何百本の駄作が埋もれているのだと思います。


 小鼓のルーツは雅楽の「三の鼓」から来ていると聞いたことがあります。じゃあそのルーツは何なのか、というと、どうも朝鮮半島を渡ってきたようですね。そういえば「大鼓」や「三の鼓」の胴(胴というのはドラムでいうところのシェルのことです)の形は彼の国の「チャング」という打楽器のそれと酷似しています。中間部のくびれ方なんかそっくりだもの。

 そのまたルーツはどうなのかというと、どうもヒマラヤの方にたどり着いてしまうようです。宗教的な儀式に使われた楽器にそのルーツを見ることができそうです。

 二人分の子供の頭がい骨を半分くらいにカットして、てっぺん同士を重ねて皮(なんの皮だかは知りません)をはったものが残っています。それに柄をつけてヒモの先に突けた玉でデンデン太鼓みたいにして(というか、そのものですね)使用したようです。

 思い出してみてください。「小鼓」や「大鼓」の胴の、あの筒の両側にお椀をくっつけたような形。お椀の部分は子供の頭がい骨の形だったんですね。

 昔、芸大の木工科の先生(当時は助手だったかな)がこんなことをおっしゃったことがあります。

 「よい鼓の胴の腕の形は、一流の職人がこさえたお椀の形に通じている。芸術品だヨ」

 これは手になじむ形だということだと思うんですが、頭がい骨でお吸い物を飲んでるなんて思うと、ちょっとね...


 ところで、ヒマラヤから西へ辿っていくとその先、西アフリカに親戚がいました。ほら、「トーキング・ドラム」ですよ。どこかでご覧になることがあったらその胴の部分をよく見てください。「つづみ」にそっくりですから。

 ヒモを締めたり緩めたりして音程を変えるとこなんか、「小鼓」とおんなじでしょう?

 私は以前から邦楽を洋楽と比較して音を言葉としてあつかう音楽なんだなと思っています。ほら、「虫の声」って言うでしょ?欧米の人たちはそれを右の脳だったか左の脳だったか、とにかく日本人とは反対側の脳で認識して音として認識するっていう、あのお話しに通じるところがあります。それでって云うわけではないんですけど、小鼓の演奏もなんだか言葉を話すように感じます。

 アフリカの人たちが操る小鼓の親戚の名前が「トーキング(話す)・ドラム」だなんて不思議な暗合だと思いませんか?

00.09.16