望月太喜之丞 Website/ タキノ庵 <暮らしのツケ帳>   01.07.04更新


タキノ庵世界紀行<2001年5月 波乱のヨーロッパツアー>


●ドゴール空港にてIMSのF君と

今回の旅の教訓。それは決して人の後について行かないこと。確かに食いっぱぐれはないけれども、自分がどこにいるのかわからなくなってしまってハズレが多い。

ド・ゴール空港で大騒ぎ

 私たち、日本からフランスには全日空で到着いたしました。ド・ゴール空港でエールフランスの国内線に乗り換えるのですが、ターミナルは遥か遠くにある、というのです。日本航空だったらターミナルが同じだったのにね。そんなこと予想もしてませんでしたから。

 楽器を入れたこのジュラルミンのケースどもをどうしろってんだぃ?今からトラックの手配は間に合わないし、とても歩いていける距離ではないんです。係員はバスに乗せて運ぶしかないっていうもんですから、仕方なく大騒ぎでみんなで運びました。

 ほかのお客達の迷惑もかえりみず、無理やりバスに巨大なジュラルミンのケースを載せたもんです。
「この日本人達は何やってんだぁ?」てなもんです。

モンペリエ

 最初の晩はモーテルに二人部屋になってしまいました。

 空港にSS氏(打楽器奏者。5日ほど前に先乗りしていた)がニコヤカに出迎えてくれたときにはちょっといやな予感がしたものでした。「スンマヘン、チョットした手違いなんヤけどナ、今夜だけモーテルに泊まってくれへんか?」
「手違い」の理由を聞くと我々も参加する当地のフェスティバルにアフリカ大陸からサリフ・ケイタ(ご存知、有名なパーカッションプレイヤー。日本にもたびたび来ている)が奥さんやら子供やら親戚やら「ギョーサン連れてきてもうて、ホテルの部屋がどうしてもアカンかったんヤ」とのことで(ちなみにこの「アカン」は「空かない」なのか、それとも「いけない=ダメだ」という意味なのかは不明)。

 という訳でTF氏と同室となりました。まあ、着いたのも夜遅い時間だったし今夜はどのみち寝るだけなので全然問題ないです。

 ところで、モンペリエ空港に着いた時に笛のOS君のスーツケースが出て来ず、大騒ぎになりました。エール・フランスのカウンターでは「まだパリにあるので明日ホテルに送り届ける」とのことだったので一安心したのですが、後にこのことは本当の苦難の単なる始まりに過ぎなかったことをOS君は知ることになります。

 翌朝、市街中心部の「ロイヤル・ホテル」へ。一応「三ツ星」なんですが、結構建物が古くて、部屋も建物同様だいぶん使い込んだ感じの部屋でした。
●後ろに見えるのは地中海


 この日は予定していた練習もナシになったので(理由は不明。主催者が「まずこの街にナジめ」と言ったとか言わなかったとか...)昼食後、バスに乗って指揮のTT氏夫妻、三味線のMS氏、箏のSCさん、打楽器のUMさん、笛のOS君(ね、安心してるでしょう?)そしてIMSのO君達と海へ出かけました。

 ホテルに帰るとOS君のスーツケースはまだ届いていませんでした。TF君があっちこっちに電話して探し回った結果、行方不明だといいます。OS君、落ち込む。楽器は自分で機内持ち込みの手荷物として運んだから演奏そのものは支障はないのだが、ケースの中には衣装を入れてあってそれも何か想い出深いものだったらしいのです。しかたなく、とりあえずOS君は街にパンツを買いに出かけました。彼は海で下着のパンツで泳いでしまったので、替えのパンツはないのです。

 ホテルの前は路面電車以外に自動車は通行できない、つまり歩行者天国みたいになっています。ホテル前のカフェでビールかなんか飲んでいるとそのワキを路面電車がゴーッと走っていくのであります。

 演奏会はお客さんこそそんなに多くはなかったもののさすがラテン系のお客様、大盛り上がりに盛り上がりました。

 フランスでアンコールに「ボレロ」を演奏するという、暴挙(?)にでた私たちでしたが、これがまたウケてました。

●これがホテルです

チェコのお城のようなホテル

 首都プラハからバスで約1時間のところにある、ほかには見渡すかぎりの畑しかない大きな池の畔に建つホテルはもともとそこの領主の館だったようで、改装してホテルとして営業しているようでした。

 外見も凄いなと思いましたが中身はもっと凄かったです。

 まずチェコは基本的に物価が安いのでこの豪華絢爛ホテルに宿泊しても日本円で考えるとたいして高い金額じゃないです。トーキョーのシティホテルに泊まるよりも安いかもしれない。いやいや、安い。どの部屋もトーキョーだと準スイートくらいの部屋だもん。
●プラハの街並


 このホテル、お薦めです。ただしプラハからどうやって行けばいいのか判らない。もしいらっしゃりたい方は直接ホテルに問い合わせていただきたい。また、まわりには本当に池以外は畑しかないのでレンタカーで行ったほうがいいでしょうね。そのかわり純朴なヨーロッパの田舎というものを満喫できる。犯罪なんてどうやって起こるのかしらっていうくらい治安もいいですしね。
●ストリートな皆さん


 プラハは気圧が低いのか小鼓の調子が悪い。だいたい街そのものが大陸のだいぶん内陸部だし、会場のスパニッシュ・ホールはお城のある丘の上に建ってるもんだから標高が高いのかなと思います。

 ゲネプロまでの3時間ほどを街にて過ごしました。いいお天気で暑いくらいです。歴史を感じさせる古い街並みを眺めながら歩き回りました。

 プラハはこの時期、音楽の街になるんです。街をあげて音楽祭をやっているですね。なんつったって「プラハの春」ってくらいですから、街を歩いていてもいたるところでストリ−トミュージシャンがパフォーマンスを繰り広げ、いたるところで演奏会が開かれています。
●スペイン・ホールでのゲネプロ


 観光客の多いこと...私もそうか...




パリにて

「セレナーデ」の練習のあとで、NK氏が牡蠣を食いに行くというのでそれに乗ることにしました。MS氏やMKさん、IMSの二人もさそって約束をしたのですが、SCとYAが「1時間あるから水上バスツアーに行ってくる」というんですね。NK氏も一緒にだ。6時半までに戻ってくるというんですが、なんだかいやな予感がしていたんです。
●パリざんしょ?


 楽屋で使おうと思っていたコンセントを忘れていたので一旦とりにホテルに行き、「パリ日本文化会館」に急いで戻りました。

 はたして6時半になっても3人は現れませんでした。まったく人の時間をなんだと思っているのだろう。

 その間にIMSのO君は詐欺師に引っ掛かりそうになりまして...

 浅黒い肌をしたお兄さん(身なりはキチンとしていた)にエッフェル塔をバックに写真を撮ってくれるように頼まれたらしいんですね(ちなみに会館はエッフェル塔からほど近いセーヌの河沿いにあります)。

 私はその様子を眺めていたのですが急に私の脇にいたIMSのF君が恐い顔をしてファインダーを覗いてるO君の後ろにつき何かしきりに言っているんです。O君が一枚とってカメラをお兄さんに返そうとしたらこんどはお兄さんが何か言っています。もう一枚撮れと言っているようでした。もう一枚撮ったところでF君がやはり恐い顔をしたまんま「OK!フィニッシュ!」とお兄さんにガンをつけているんですね。MS氏も急に大声で「フォトグラフィー、フィニッシュ!」と叫び始めたら、お兄さん、急にアタフタと(だけどニコヤカに)退場してしまいました。

 私はなんのことだか良く呑み込めずにF君に問うと「アレでね、後ろから別なのがガーンと当たってきてカメラを落として弁償させるんですよ」とのこと。なるほど、紙袋に入った安物のワインをぶつかりざまワザと落として高いワインだと因縁をつけるような話は聞いたことがあるがこれと同様の手口なわけです。勉強になるなあ。

 そんなこんなで待っていると、MKさんがとうとう待ちきれないらしく「私、ヒトリでコボれるワ」と言いだしました。

 私もなんだかイヤになってきたので結局二人で近所のレストランで夕食を済まそうということになり、グループから離れました。

 最初は近所でチャイナにするかそれともタイランドにしようか、いやいやイタリアンでもいいかな、なんて言っていたのですけれど、MKさんが昼間歩いたところにエスニックのお店がテンコ盛りに並んでた一角があったとおっしゃるんです。地下鉄に乗らないと行けない場所らしいんですが、よく聞いてみるとどうも私も午前中に歩いたカルチェ・ラタンのことみたいです。午前中ではお店もほとんど開いていなかったので、私はピンと来なかったのでした。
●カルチェラタンの夕間暮れ その1
 カルチェ・ラタンなら地下鉄を乗り継いでも20分くらいなのでそこへ行きましょうかと提案しました。時間といい、場所といい、お互いにひとりだったら絶対に行かない気がするものな(コワくてですよ)。

●カルチェラタンの夕間暮れ その2
 夕暮れのカルチェ・ラタンはあちらこちらのお店の灯が、とても懐かしい気持ちにさせてくれます。

 路地裏にはあらゆるエスニックなお店が軒を連ねていて、しかもにぎやかだ。道が狭くなるほど客引きが多くて(でもコワくない)一瞬夢の中で日本のどこかにある、謎の温泉街の盛り場にでも迷い混んでしまったような錯覚を覚えました。中には結構怪しそうなお店もあったりしてワクワクしてしまいます。

 普段、お互い演奏のパートも違うしあんまり共通点がないんだけど、こういう趣味はMKさん、私と合うんだなあ。

 あっちの路地、こっちの通りとウロウロしているうちに小さな交差点の角に牡蠣をずらっとならべている店を見つけました。結局そこを第一候補にして、他に目ぼしい店はないものかと一回りしたあげく戻ってきてしまいました。看板の「お薦めのコース」メニューを見てみると「お二人様から!338フラン」なんてのがまず目に入りました。まるでトーキョーの居酒屋のメニューにある季節限定のナベ物のセットみたいなんですが、その内容はスゴイ!牡蠣が1ダース、蟹(種類は不明だが結構大きい)半分、大ぶりのエビ半ダース、小ぶりのエビが同じく半ダース、ツブ貝をバターと胡椒で炒めたものとムール貝をバターとニンニクで炒めたものがそれぞれ直径12センチくらいのボウルに山盛りという、もう、これで舟盛りで出てきたらどうしましょう!みたいなセットでした。
●未知との遭遇


 他にもいくつかもうちょっと小規模なコースみたいなのもありましたが、やはり初心貫徹、「お二人様から〜」を選ぶ。MKさん、ご機嫌でありました(正直、私はちょっとビビッてた)。

 もちろん天井がお空の、通りに面したちっちゃな円いテーブルに二人で待っていると直径40センチはありそうな銀色の大皿にのって「未知との遭遇」に出てくる巨大宇宙船のように「お二人様から〜」はやって来ました。頭をレモンに差し込まれて逆立ちするエビのしっぽがますます「ピポピポピー」な感じでした。
「ボンナ、ペッチィー!」なんてギャルソンがハヤアシで立ち去ってゆきます。この店は忙しいのだけれど、この魚河岸みたいな雰囲気も売り物なのかもしれません。

 イナセなギャルソンの後ろ姿を見送ってお皿に目を戻すとMKさんはもう牡蠣に手を伸ばしています。私も、と手を伸ばそうとすると、ん?何か変だ?そうだ、牡蠣の殻が開いてないんだ。普通は開いて出てくるもんだと思ったんですけど、「ベラボウめィ!生粋のパリジャンはテメーで開けてススッとすするんでィ!」なんてこともあるのかもしれないと思い、まわりを見まわしても牡蠣を食べてるひとなんかいないし、だいたい「未知との遭遇」をオーダーする客なんて珍しいらしく逆にこっちが周囲から見られてます。道行く人も珍しそうに見てゆきます。手元にあるのは蟹用のホジクリフォーク(私はこう呼んでいる)と小さめのフォーク(これで牡蠣の身を口に運べってのはわかるんですけどね)、それに蟹の殻をブチ割る(んだと思う)安物のクルミ割りみたいなヤットコみたいな道具だけなんです。これでどうやって牡蠣の殻を開けるんだろうと考えていると、MKさん、「こっちの開いてるのを先に食べたら?」とあんまり気にしてないんですね。
「あ、開いてるのもあるんだ」
●ゴキゲンなMKさん


 12個のうち3個だけ、なぜか3個だけ開いている。不思議なことをするもんだと思いながら、とりあえず一ついただくことに… ウウ、美味! モンペリエでも随分と牡蠣をいただきましたが、パリの牡蠣はなんだか味が濃いぞ! 牡蠣用のお酢とか出てきてるけど、私には何もかける必要なし。強いていえばお醤油をチョイとたらしてみたら面白かったかもしれないです。

 とはいえ、他の牡蠣は「開けなくてはいただけないではないか」と再び殻開けに挑戦しました… できない… 日本の牡蠣と種類が違うのかフォークを差し込む場所も良くわかりません。MKさん、いつのまにか今度はツブ貝を召し上がっています。

 とうとうあきらめてギャルソンを捕まえて英語で聞いてみました。「Please, tell me how to open!」

 ギャルソン、皿を見て「wahaha...!」と笑ったかと思うと、店の奥に向かってフランス語で(アタリマエか)何かわめきだしました。

 店の中からもうひとりの若いギャルソンが出てきて 皿を見るや「Oh!」と笑って「未知との遭遇」をサァーッと持って行ってしまいました。私たちはあっけにとられて目が点である。しばらくしてギャルソン、「未知との遭遇」と共に戻ってくると「I'm sorry...I've forgotten ナンタラカンタラ...」と何か英語で言い訳をしながら大皿を置くとそこには殻の開いた牡蠣が12個(!)のっているではないですか。どうも牡蠣の殻を開けるのを忘れていたみたいなんですね。で、お詫びのシルシにだかどうだか解らないのだけれど、先にいただいた2個分をサービスしてくれたようであります。そういうわけで14個の牡蠣が私たち二人のお腹に収まることになりました。

 あとで気がついたのですが私の使った「Please, tell me how to open!」という英語はこの場合結果として、ちょっと皮肉な言い方になってたみたいなんです。私としては本心、その通り「すみませんがこの牡蠣の開け方を教えてください」ってつもりで聞いたのですけれど「ニイチャン、タノむよ!こいつを一体全体俺達にどうしろって言うんでィ?」くらいに聞こえたかもしれません。これぐらいの言い回しが自然にできるようになってみたいものです。

 結局、牡蠣食いチームから離れた私たちは二人して、カルチェ・ラタンの街角でテンコ盛りの牡蠣をお腹に入れたのでありました。

●パリ公演打ち上げにて
 パリでの演奏会はヒトモメありました。

「セレナーデ」の作曲者であるTF氏がどうにも出来の気に入らないので演奏を中止してほしい、というのです。楽屋で出演者の全員で話し合いの結果、開演1時間前になって演奏を急きょ取りやめることになりました。

 私はこの曲に参加してないし、このことは後で賛否両論あったけれども、私的には演奏のクォリティに対して×をつけたTF氏に○。話し合いの結果中止を決定した仲間達にも○をあげたいと思うのです。

 なによりも恥ずかしいことでもあるし、もちろん反省しなくてはいけないことでもあるんですけど、私、楽屋でソバを茹でつつ反省をしておりました。

 最後の日はMKさんとパリのまた町を歩きました。
●考える人の股の下で...


 最初は「ロダン美術館」へ行きました。

「ロダンというのは愛情を描くことに物凄い執着があったのね」
「元気だったんだね」
「だけど男性の方が好きだったみたい」
「どうして?」
「女性の像はなんだかのっぺりしてるんだけど、男性の像はなんだか筋肉の隅々まで表現しているように視えるのヨ…」
「ゲイだったのかな?それもマッチョが好きな」

 後は相変わらず路地裏ばかり歩いてました。

「路地裏女と路地裏男がウロウロしてるわけね」

 ところで後で聞いたら私たち、結構アブナイっていうところを歩いてたみたい。

 ところが、全然アブナイ目に会わないんですよね。みんなよけてくのかな。ひょっとして、私の顔、コワイ?

 他の連中は地下鉄でスリに身体をまさぐられちゃったり、アブナイ目に会ってたみたいです。SCさんなんて、YAさんのばっぐに手を入れようとしたジプシーの子供にケリをいれたらしいし。イレラレタんじゃなくてイレタんですよ。

 モンペリエやプラハが割とノンビリしてたからだいぶんギャップを感じました。

 そんなこんなで無事に帰っては参りましたが、私、もう歳なのでしょうか、時差ボケが直るのに2週間もかかりました。
http://www.bekkoame.ne.jp/~takinojo/