猩々達の宴
この文章はだいぶん前に書いたものですが、なんとなくボツにしてしまったものです。理由は何だったか忘れました。
そのボツにしたものを何故今ごろになって掘り出してきたのかというと、この文章の中に先日、惜しくも亡くなられた私の敬愛する先輩である、鳳声晴光(丸 謙次郎)さんが出てくるからなのです。
私の拙い文章ですが、追悼の気持ちを込めて丸さんに捧げます。
2005年3月
その年の飛翔会の私のお役は「二人猩々」の締太鼓でした
「二人猩々」という曲はだいたいが日本舞踊の地として演奏されることがほとんどで、あまり演奏会で取り上げられることのない演目なのですね。それを「飛翔会」で演奏するにあたって、本行(お能のことです)の「猩々」で演奏される「乱(みだれ)」の手順を勉強して、長唄の曲の中に打ち込んでみようではないかということになりました。
以前、梅屋福太郎さんが作調なさった、特別版の「二人猩々」の手附を元に「飛翔会」用の「猩々」を創るべく、笛のHHさん、タテ鼓のМSさん、大鼓のМSさんが私の家にお集まりくださいました。今回のお話はそこから始まります。
さて初日は…
最初の日は練習のあとで我が家で夕食をご一緒にと思っておりましたんですけど、大鼓のМSさんはまだお仕事があるとかでお帰りになっちゃったんですね。それでは次回、日を改めてまた宴会をいたしましょう、そしてその時はシェフとして(大鼓のMSさんは料理の腕前がとてもスゴイのです)ご参加、ということで、お残りになったタテ鼓МSさんと笛のHHさんと私ども(ウチのカミサンの他、弟子が二人参加)で、お鍋を始めたんです。
これがあろうことか鳥ナベ! なぜ「あろうこと」なのかというと、HHさんのご実家は鳥料理の老舗なんですね。普段から「ぼかァ、オモテじゃ鳥はいただきませんから」なんておっしゃってたHHさんに鳥ナベなんて、冗談じゃない。
世界一ドキョウのあるカミサンをにらみつけて、とりあえずトボケましょう… ということで始めてしまいました。HHさん、きっと目をつぶってくれてたんだろうなぁ…
これが食前にちょっと一杯、なんてやってたのが凄いことになっちまいました。食事なんかそこそこに大宴会になってしまったんです。
私、翌日仕事があったもんで11時頃から「さぁ、そろそろ…」なんて、それとなくオヒラキ宣言をしてたんですけど、お二人とも全然聞こえてないんですね。一升瓶なんてあっという間に二本をカラにしてしまい、弟子に深夜までやってる酒屋に買いに走らせました。
私、弟子達に「早く酔い潰しちまえ!」なんて密かに手旗信号を送っておりましたんですけど、弟子達の方が一緒になって盛り上がってしまう始末で…
もうHHさん、ネコを見ては「昔ウチにも…」といって泣くわ(弟子達モライ泣き)、MSさんはロフトの上から本をリビングに落としては手すりにまたがって吠えるわ(弟子達悲鳴)、終いには上と下で大歌舞伎が始まっちまうわ(上がタモリで下が大成駒! 弟子達ヤンヤの大喝さい)、携帯電話に怒りまくり、あげくの果てに壊してしまうわ(弟子達思わず拍手)、もう私の家は阿鼻叫喚のルツボと化しておりました。私、何度気が遠くなったことか…
HHさんのネコの話が3回目だか4回目くらい(同じ話ですよ!)になったころ、МSさんは寝つぶれてしまいました。というわけで、すかさず強制終了いたしました。
一月の朝の5時半、まだ暗かったですね。その、暗い中を私と私の弟子達と3人がかりで両側からHHさんを抱えて大通りまで、大騒ぎで道中したものです。しかもHHさんの口三味線入りでですよ。ご自分の口ずさむ「早めの合方」に乗せて急に走り出そうとしたりするのでタイヘンでした。
三人で家に戻るとリビングにはタテMSさんのイビキが… 私、ヘロヘロになって翌日(もうこの日ですな)のお仕事に行ったのはいうまでもありません。
二日目はといいますと…
さて日を改めての第2回戦。この日は練習という訳でもなく、都合でHHさんはいらっしゃれませんでした。タテ鼓のМSさんご夫妻にお弟子のМK君、そして大鼓のМSさん(以下大МS)をシェフにお招きして我が家でお好み焼きパーティーをいたしました。大МSさん、お料理がお上手なんですよ。もう、なんともうあげたら良いのか、とにかく「一家に一台」というお人です。この日は私、クダンの弟子二人に加え、通いで来ているお弟子がもう一人やって来て弟子3人(3人とも芸大生の女の子)で迎え撃たせようというハラでした。
いやぁ、大МSさん、夕方にはお一人でフラッといらっしゃって、気がついたらウチの台所でもう仕込みを始めてるんですから。
奥様もご一緒に、とお誘いしたのですがお飼いになっている犬が心配でいらっしゃれなかったんです。ワンちゃんを連れてくれば、とのことでしたが、ウチには凶暴なネコが6頭もいるので、連れてきてもらっちゃうとそれだけで阿鼻叫喚になっちゃうので、ゴメンナサイ! でした
それにしても大МSさんの作るお好み焼きの美味かったこと! 弟子達ともども、堪能いたしましたよ。
この夜はたいしてアルコールの量もメーターがあがらずに安心… と思っていたら、台所でネギを刻む大МSさんの目がいつのまにか座っている! ご自分はたいして食事を召し上がりもせずに、みんなのためにお好み焼きを作りながらチビチビ飲んでたらしいんですね。
もう、料理を終えてこっちに来たときにはロレツも回ってないし。ウチの弟子に一生懸命何か話してるんだけど、さっきからお話が同じところをグルグル回ってるし。
相手をしていた弟子の一人に「3回目?」って指を三本立てて眼で聞いたらば、彼女、大МSさんの方にはニコニコと最高の笑顔で相づちを打ちながら、指を4本立てて返してきました。なんかこれとおんなじ事が前にもあったような…
大МSさん、ウチでオヒラキのあとにタテМSさんのお宅にお寄りになって、台所で大リバースしちゃったそうです。翌日タテМSさん曰く「当分ソバ入りモンジャは食えない…」とのことでした。
「二人猩々」には酒売りが登場します。お告げの通りに商売を続けたら大成功を収めたので、猩々さんたちにお礼をという事で大瓶にいっぱいの酒をご馳走したんですね。で、夜を徹しての宴を開いた、と…
私、なんだかその時の酒売りさんの気持ちが少し解ったような気がしました。
説明の必要もありません。この宴会初日に出てくる「笛のHHさん」が、丸さんこと鳳声晴光さんです。
明け方に丸さんを抱えてお送りした私の弟子二人は、祭囃子を習いにお預けしてありました。ですから丸さんの弟子でもあります。そして彼女達は先日、他の多くのお弟子さん達と一緒に丸さんの最後の旅立ちも見送ることになってしまいました。
あのよくとおるお声で早めの合方をひとくさり口ずさんでから「じゃ、またね…」と言い残して、丸さんは旅立って行ったのだと私は思うのです。
05.03.27