タキノ庵世界紀行

<2002 フィリピン大学ワークショップ>


●フィリピンの生徒達と

昨年の春にウチにホームステイしていたフィリピン人留学生TONIとメールをやり取りしているうちに、ひょんな事からフィリピン大学に教えに行くことになりました。来年の春にフィリピンで日本祭という催しがあり、そこで歌舞伎の勧進帳をやるのだがその演奏を自分たちで生で演奏はできないだろうか、という相談を受けました。私は即座に「Impossible(無理!)」と返事をしたものです。

ならば「勧進帳」を創っている学生達に向けて、邦楽器のワークショップを開くのならどうだ? と言ってきたので、こちらはお引き受けすることにしました。正直、最初は気が乗らなかったことは確かです。


02.11.21(木)
一日目(初日)

 朝早い飛行機を予約してしまったので、朝5時起きで6時に家を出発です。スーツケースがヘビーなので弟子に一緒に東京駅の「成田エキスプレス」のホームまで一緒に来てもらいました。私、常々、成田空港は遠いので、せめてアジア方面の近場へ飛ぶ飛行機は羽田から出してもらえないものかと思っています。

 スーツケースはスーパーヘビーだったんですけど、スポンサーのJALのアップグレードを受けることができたので、エクセス料金は発生しませんでした。

 空港の本屋でフィリピンのガイドブックと、立花隆さんの本、そして花村萬月の「ブエナ・ビスタ」を購入しました。私、活字中毒だもんで本がないと旅先で眠れないんですね。

 成田→マニラは4時間20分。広島まで新幹線で行くのとたいして変わらない時間ですね。ジャンボの2階席の窓際がとれて少し嬉しかったです。私、飛行機が好きなんですよ。

 機内食はマグロのカツレツ、白ワイン。食後、映画が始まる直前に強力な睡魔に襲われて機内上映の映画(MB2)を観そこねてしまいました。楽しみにしてたのに、目が覚めたらエンディングのテロップが流れてるんだもん。

 映画も終わってしまったので、窓を少し開けてみたら、いつの間にか雲が夏の形に変わっています。マニラは気温30度を越えているといいます。これから行くところは夏なのです。

 無事に空港に到着。飛行機の扉を出た途端にムワーッとした熱気に迎えられます。

 空港のバゲージ・クレームのところまで、昨年私のところにホームステイして囃子の勉強をしていたTONIが迎えに来てくれていました。空港からケソン・シティのフィリピン大学までは1時間ほどかかります。車の交通量が多いのは東京以上かもしれません。それにしても当地のドライバーの運転はクレイジーですね。ちょっとでもすき間を見つけるとグイッとノーズを突っ込んでくるし、合流なんか最後の最後まで譲らないもの。

 大学の構内は広大でまるで公園のよう。この敷地全てが大学のもの、というわけではなさそうで、普通の家も建っていたりなんかしますがキャンパス内には一般の車両も入ってくるし、どうもその境目みたいなものははっきりしません。ただキャンパスの外周に添ってぐるっと車道が走っており、一応それが外と中の境目ではある様です。

 チャンセラーズハウスに到着。チャンセラーズハウスとは学長の公邸、ということなのですが、学長は自分の家に住んでいるので今はゲストハウスとして使用している、とのことでした。

●マルタさんです

 ハウスにはザヤス先生、マルタが待っていました。マルタは私の身の回りの世話をしてくれるそうです。あとで管理人のオジサンとオバサン、それにガードマンを紹介されたのですが、私、こんな暮ししてみたいなあ。

 マルタが作ってくれたビーフン蕎麦(名称不明)をおいしくいただいた後、ザヤス先生とスケジュールについて簡単に打ち合わせをしました。

 夕食会へ。ザヤス先生からジーナさんを紹介されました。彼女はこの度の歌舞伎公演の総合プロデュースをしています。遅れて交流基金の上杉さん、キミヤ夫妻、助教授のJose

 Capilli、音楽科の偉い先生とそのお友達、テレビショーから駆けつけたというプロフェッサー・マベサ、トニ、学生のジョン。

 ディナーのメニューは甘いお茶、赤ワイン、カボチャの花にマオマオという魚のみを包んで揚げたもの、鳥肉のソテー、フィリピン風春巻き、魚のあんかけ。


02.11.22(金)
二日目

 朝食はお粥(?)、魚の塩焼き、フルーツ。

 今日はワークショップの初日です。午前中は小鼓大鼓などを組立ながら楽器の仕組みについて説明しました。実はこれらの楽器は大学のカレッジ・オブ・ミュージックのミュージアムで展示されているものなのですが、これらを組み立て直し、チューニングをしながら講義をしようと考えたのです。

 午後はやはりミュージアムに展示されていた韓国製の大太鼓を使って様々な情景描写や奏法を紹介してから、お三味線の奏法について説明をしました。このお三味線もミュージアムに展示されていたものなのですが、当地の湿気ですっかり皮がダメになってしまったものを日本に送らせて修理し、私が運んできたものです。これも組み立てながら構造の説明から講義を始めました。

 夜は「勧進帳」の稽古を見ることになっていました。

●フィリピンのタテ唄、REX

 稽古の前に地元の新聞だかのインタビューを受けました。私の仕事のことや演奏のことを少し聞かれた後、楽器の材料の話になった時に小鼓は桜の木と馬の皮でできている旨、説明したのです。そうしたら「木を切ったり動物の皮を取って環境を害していることに抵抗はないか」と質問されて目がテンになりました。おいおい、それじゃあ君は環境のために肉も食べないし、自動車にも乗らないのか? 私はそこまで意地悪ではないので「何百年も昔の人が切った桜だから」とトボケたら、なんだかムッとしていましたね。

 彼らの歌舞伎は予想外に良くできているので驚きました。日本語のセリフもたいしたものでしたが、長唄まで全員が唄っているのには恐れ入りました。しかもアカペラで!そのうえ暗譜!!彼らがこの「勧進帳」の上演にどれほどの情熱を傾けているのかが良く解る、それは感動的なリハーサルでした。

 稽古の後、富樫役をやっているロムニックにちょっと意地悪な質問をしました。

●勧進帳の稽古風景

「Togashi, why did you pass them? トガシ、君は何故彼らを通したんだ」
「I moved with him, with Benkei's mind...」
「If they through the gate, then you will have to play HARAKIRI. Are you OK?」
「Yes sir, ofcourse... because... I like him...」

 ロムニックは唯一プロの俳優なのですが、この答にはさすが、と思いました。彼、実はフィリピンのアイドルタレントだったんですよ。


02.11.23(土)
三日目

 昨夜は結構眠れました。

 朝食はご飯、焼き鳥(?)、フルーツ。フィリピンでは朝から焼き鳥か...。なんて言う名前の料理でしょう。日本の焼き鳥そっくりです。

 今日はミュージアムの方でワークショップです。もう実際に楽器に触ってもらおうと思うのですが、受講生が大勢いるのでさばききれないくらいです。午前中は三味線を、午後は大小鼓を教えることにしました。

●大小鼓のレッスン

 半分以上の受講生は音楽の学生ではなく一般の学生なのですが、楽器の演奏に対するセンスがある人が多いです。お三味線なんか特に取っつきにくいんじゃないかと思ってたんですけど、教えるとスッと構えちゃうんですね。これは後で話を聞いて納得しました。

 というのは、この国ではスペイン統治の時代が長かったために、ギターという楽器が伝統楽器になっているのですね。歴史的にギターの演奏をたしなむ、ということが一般的なんだそうです。ちょうど日本でいうとお三味線みたいな楽器、ということになるでしょうか。

 さすがに正座はみな辛そうでした。

 本日の夕食は、ジーナさんお薦めのフィリピン料理の店へ学生達と行きました。私はすっかりフィリピン料理の大ファンになってしまいました。ちょっと酸っぱいシニガン、ゼラチン質がこってりしたシシ(グ?)...ああ、痛風になっちゃう。

 部屋に帰ってシャワーを浴びようと思ったら水が出なくなる。歯だけでも磨いておいてよかった。


02.11.24(日)
四日目

 7:00に起床。昨夜出なくなってしまった水道の水は出るようになっていました。

 朝食は麦飯、目玉焼き、フルーツ。

 こちらのシャワー事情の話をしましょう。私、最初なかなかお湯が出ないので故障しているのかと思ったんですね。そしたら、当地ではシャワーからお湯が出ないのが普通なんだそうです。

 じゃあ、シャワーや洗面所の蛇口に着いている、お湯のマークは何なんだよ!って思うでしょ? あれは殆ど、というかほぼ100%輸入に頼っているのだそうです。だから、「お湯」のマークは意味がなく、単なるダミーなんだそうです。

 もちろん、マニラの大きなホテルではお湯もふんだんに出ますし、日本人観光客向けのお風呂屋さんまであるそうです。

 朝食後マルタと少し話しました。私は最初彼女は学生のひとりかと思っていたのですが、そうではないと言います。若いころ、サンフランシスコでインテリアデザインを勉強していたこととか、2ヶ月ほどパリで過ごした話などをした。

 午前中は「勧進帳」の出演者達の出席が多かったので、セリフ、唄などを題材にして発声練習から始めました。当日の舞台進行を担当しているスタッフの二人には、それぞれ拍子柝とツケの打ち方を教えました。彼女は拍子柝のことを「Hyoshigi sticks」って呼ぶんですよ。

 ランチはプロフェッサー・マベサのご招待。ジーナさんと3人で学内のレストランで。

 マベサ先生、「ここじゃないと、煙草が、ネ」と外の席を取ってくれました。ご自身も相当の愛煙家でらっしゃいます。

 ご多分にもれず、こちらでも煙草についてはだいぶん厳しくなっており、建物内では原則禁煙というところが殆どです。もっとも守っている人なんかあまりいませんが、若い人は吸わない人が多いです。煙草を吸っているのはオジサンばっかりです。

 午後のレッスンには日刊マニラ新聞の岡本氏が取材にみえました。

●三味線のレッスン

 午後は唄の稽古からスタートして、楽器の稽古へ。三味線の上達が一番早い学生に三味線の代稽古をさせてみましたら、彼は教えるのもなかなか上手でした。彼にどうやって練習したのかを聞いてみましたら、家でギターを本調子にして練習したんだそうです。

 夕食はトニとマカーティという街へ行きました。トニの運転で大学から30分以上かかるここはフィリピンの新しい観光ゾーンです。そんなに遠いとは思わなかったので学生なんか誘ってしまって悪いことをしてしまいました。道理で誰も付き合ってくれないわけだ。


02.11.25(月)
五日目

 朝食はご飯、湯豆腐(?)、フルーツ。ひょっとして、和食? 

 午前中はオフ。朝食後、マルタと一時間ほども話し込みました。

 お昼はプロダクションマネージャーのNADS(19歳。弁慶役のNielの彼女)とSandraの三人で学生が良く利用する店でいただきました。ここの料理がまた絶品でした。小ぶりのイカのソテーに独特のソースをかけていただくのがとてもおいしかったです。

●ジープニーに乗る(隣はNads)

 この日、初めてジープニーという小型の乗り合いバスに乗ってみました。フィリピンではこれがとても一般的な公共の乗り物です。ジープニーは基本的にドライバーの持ち物らしく、皆思い思いのデコレーションで飾り立てています。日本だと以前、「トラック野郎」っていう映画がありましたけど、あの感覚なんでしょうね。スゴイです。これにいっぺん乗ってみたかったんですよ。

 乗り込んでまず奥の方に座ると、ジープニーはすぐに出発。料金を(いくらだったか忘れました)どうやって渡すのか迷っていると運転手が運転しながら自分の右肩の上でこっちに向けて手を出しているんです。それに料金を乗せろ、ということみたいです。

 料金を乗せるとスッと手を引っ込め、横目でチラッと金額を確認したかと思うと、ハンドルのワキにある袋に突っ込んで何やらゴソゴソやっています。しばらくして、やはり肩越しにお釣りを渡してくれました。これが全て運転しながらという、超人的なワザなんですよ。

 降りるときには天井をゲンコで叩いて知らせます。そうすると「ハイヨ〜!」って感じで止めてくれるんですね。降りるのはどこでもいいみたいです。

 昼食後2時過ぎからプロフェッサー・マベサの部屋でレッスン。まず唄をみて、休憩後は楽器隊をみました

 夕方早い目に切り上げて、フィリピン民俗芸能のコンサート(実はどうもコンクールであったようです)を観に行きました。会場はエアコンが効きすぎ寒かったです。パフォーマンス、少し眠かったんですけど結構面白かったです。眠かったのは疲れていたからですね。途中で出てジョンとイリーンとでファーストフード屋さんで夕食。うっかり昼飯と同じものを頼んじまいました。

 急いで戻り、芝居の稽古に参加しました。今日はほとんど三味線を弾くことにしました。すると弁慶の動きが違うんですね。稽古は感動的に終わりました。

 富樫役のロムニックから明後日のランチに誘われました。喜んで!


02.11.26(火)
六日目

 東京の国立劇場へ行くのにジープニーに間違えて乗ってしまって全然知らないところへ連れて行かれてしまう夢を見てしまいました。

 朝食はご飯、魚(名称不明)のフライ、謎のおひたし。どうも、マルタは毎朝私のために和食を作ってくれているようであります。

 本日はデモンストレーションをいたしました。14:00からデモの支度を始め、デモそのものは適当にやっつけてしまいました。どうもホールでのワークショップは苦手です。

 学生達による「さくら」の合奏は非常にうまくいきました。アンコールがあったくらい。

●学長に挨拶に行った後で(隣はザヤス先生)

 15:30、チャンセラー(学長)にご挨拶。ガイドブックに載っていた門のような建物に学長室はあります。

 その後マカーティへ移動して現地ケーブルテレビの「WINS」という日本語放送局のインタビューを受けました。ここでは社長の水島氏自らキャスターを務めておられます。

 一時間ほどで収録を終え、近所にお住まいの日本人学校の校長を務めておられるオゼキ氏のお宅へうかがい、夕食をご馳走になりました。

 今日は疲れました。


02.11.27(水)
七日目

 早朝からうるさくて目が覚める。雨。

 朝食はラーメン(和食!?)、フルーツ。

 学長の従兄弟氏、アルベルト氏にゴルフに誘われましたが丁重にお断りする。それなら講義が終わってからナイトクラブへ行こう、とも。これも丁重にお断りしました。

 午前中はプロフェッサー・マベサの部屋でレッスン。まず、唄をみて、次は三味線を見る。

●唄うコックとその関係者達

 この日のランチは富樫役のロムニックとへランチに。サンドラとディアナが一緒。唄って踊るコックのいる店というのがウリなのですが、本当に延々とかならず誰かが演奏しているのです。しまいにはガードマンまで唄い出す始末で。

 ここではフィリピンスタイルで手づかみの食事に挑戦しました。インドスタイルと違って左手を使っても良いが口に運ぶときは必ず右手を使う、というのがこちらのルール。蟹が美味でした。サンドラはアレルギーでシーフードがダメなのでちょっとかわいそう。

●ロムニックとサンドラ

 ちょっと遅れて、午後は1階の広い教室でレッスン。唄、三味線に加えて囃子の稽古もしました。もう日がないので結構コワイ先生になってしまいました。

 17:30までレッスンして、芝居の稽古までの間にマルコとジュリウスがカフェに、お茶しに連れていってくれました。ベーグルが美味かった。

 芝居の稽古はこの日もほとんど三味線を弾いてました。

 番卒と太刀持ちが急病で休んでしまったので、今日ランチにつきあってくれた二人、サンドラとディアナが代役。とてもかわいかったです。

 前半終了間際、学長が見学にみえ、少し休憩を取って挨拶をしたあと、最後まで観ていただきました。

 今日は最後のレッスンということで様々なギフトを学生達からもらってしまいました。ナッズは私が大好物になったソースを4瓶。ニールはTシャツチョークはネックレス。コーラスのひとりはまた帽子。四天王のひとりは何故か石をくれる。手紙ももらいました。イリーンはフィリピンの竹の楽器をくれました。

●番卒と太刀持ち

 稽古後は打ち上げ(?)になりました。イマが牛肉のシニガンとシシ(グ?)を作ってくれましたし、豚の丸焼きなんて初めて見ました。名称不明の魚(ちょっと生臭そう)をニールが美味そうに食っていましたっけ。

 明日も朝からレッスンすることにして皆と別れました。

 帰ってから荷造りが大騒ぎでした。なにせ、来るときよりも荷物が増えてしまったのですから。


02.11.28(木)
八日目(最終日)

 朝食はパン(初めてだ!)、冷やっこ(!)、フルーツ。

 朝、居間でメールを送っているとアルベルト氏も出かけるところ。「シカゴに来たらぜひ電話しろ、遊ぼう」とおっしゃる。OK。

 8:30頃マルコが来た。小鼓の皮や三味線がハウスに届いていないので、ジョンに電話させて急いで持ってくるように指示しました。

 9:00頃にはジュリウスや真利子も来ましたし、ボーア、笛を吹くことになったオジサン、ザヤス先生、ジョン、イリーン、エール、トニもやって来ました。サンドラも遅れてやって来た。真利子との待ち合わせに間に合わなかったようだ。

 マルコはもう少しでヒシギが吹けそう。つくづく、音楽センスがいいやつだなと思いました。

●the last lesson

 「ヨセの合方」、「コダマの合方」、四ツノツヅケ、アシライの三ツ地などを浚って10:30までレッスンをして、ハウスの庭で皆で写真をとり、空港へ。サンドラ、エール、真利子が空港まで送ってくれました。

 バスの中で皆と今のこと、これからのことなどを話す。真利子が上手に通訳してくれる。エールは静岡に親類がいるという

 チェックイン。昨日してくれたはずのアップグレードは、座席についてではなく荷物の重量についてのみでありました。

 はじめ、重量の超過を告げられたのですがアップグレードの件を説明して無事に通りました。

 カウンターで手続きをしていると、しらないオジサンがやってきて何やら包みを渡してくれた。このオジサン、あとで聞いたのだが真利子の友達の韓国人のボーイフレンドで偶然、韓国に帰る所だったそうです。何と、マルタがお弁当を作っておいてくれたのをサンドラ達が彼に託して届けてくれたのでした。

 ライスにソーセージ、目玉焼き。箸は洗って持って帰り、次回来るときにマルタに返すことにしようと思います。待合室でマルタのお弁当を食べていたら、急に寂しくなってきてしまいました。


 とまあ、かような旅をしてきたわけですけど、特筆すべきは食べ物のおいしかったことと、今回出会った皆さんの情の厚さ、とでもいうんでしょうか。

●チャンセラーズ・ハウスの庭で

 ヘンな話しですが太喜之丞はフィリピンパブのオネエサンにハマッちゃうオジサン達の気持ちが少し解るような気がしています。女の子がみんな優しいんですよ。若いのに...

 今の日本の、妙に強くなっちゃったオネエサンとは全く違います。もしかして大昔は日本のオネエサンもあんなふうに優しかったかも知れないんですけど。欧米のオネエサンみたいにマイペースで、自分の主張はガンガンするっていうワケではないし、コレアのオネエサンみたいにいつもアツいわけでもないんです。なんというか独特の優しさがあります。っていうか男の子もみんな優しかったな。

 日本ではえてしてダークな部分か、観光的なばかりが紹介されるフィリピンですが、そこに暮らす人々は、私たち日本人ととても近い感性を持って暮らしていることをお伝えしておきます。

 彼らの創る「勧進帳」はぜひ日本人の皆さんに観ていただきたいと思います。あれは非常に感動的な芝居になると思います。芝居の出来もさることながら、打ち込んでいる彼らの姿に感動するのです。「勧進帳」は来年の2月から3月にかけてマニラの劇場で上演されます。

02.12.18

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